交流奉仕部 今年の新年会は昨年と同じ会場、浦和伊勢丹7階クローバールームにて開かれました。
三寒四温、まだまだ寒い中、31名の方にお集まりいただき、「あけまして・・・」ではなく、「こんにちは!」、「お久しぶり、お元気ですか?」の挨拶で席に着き、会場は温かい雰囲気に包まれました。
部員の息のあった連携プレイで、「くじの景品」にはたくさんのアイデア、工夫を凝らした楽しい品が揃えられ、会場レイアウトも、昨年までのコの字にテーブルを並べる方式から、5つの島に変え、卒年順に席を設けました。「お食事とおしゃべり」はもちろんですが、その前に「講演会(ミニスピーチ)」も用意され、ここが知的好奇心旺盛な我々の同窓会です。
まず、交流奉仕部長Yさんの挨拶から始まり、続いて講演会に入りました。
講師は小澤秀子さん(58年文英卒)、2012年より精力的に取り組んでいらっしゃる日本の皇族(梨本宮家)から李王家へ嫁がれた「李方子(り まさこ)妃(イ・バンジャン)」の研究発表です。日韓関係研究の書物が多い中、小澤さんがどんな視点から語られるか楽しみでした。レジメにある「私の韓国病」にもワクワクしました。
45年前にたまたま仕事でお付き合いした韓国に興味を持たれ、知れば知るほど人にも食にも、特に、歴史(日韓関係)にはまっていかれたとか。この病気(興味)のため韓国には年に何度も足を運ばれ、2011年、2012年には「ふみ子の海」韓国語版の上映を実現、成功に導き、最近は李方子妃に関するリサーチを続け、資料を集められてきました。この間、韓国ツアーも企画、これまでに約40名の方たちを連れて行っています。
政略結婚を強いられた戦前の苦悩、そして微妙な立場になられた戦後の方子さまの人生はドラマ以上でした。苦労に苦労を重ねながら障害児教育に尽力され、最後には「国母」として慕われた彼女の情熱には驚かされました。なぜ、この困難な事業に向かっていかれたか、それは「子どもたちと接しているときの美しい笑顔を見ると、方子さまが、どんなにかこの事業に深い喜びを感じ、楽しんでいたかがわかり、これこそが続けられてきた原動力になっていたにちがいない。」というのが小澤さんの論です。実は、私も「冬ソナ」に感動し、小澤さんから感染した一人。最後に言われた「国家間にはいろいろな問題があっても、結局は人と人とのお付き合い、その人柄に触れ、国民性を理解、受け入れることが大切!」印象に残る言葉です。
今後は「文禄・慶長の役」の研究も考えていらっしゃるそうです。
講演の後は、お食事です。メニューは「つきじ植むら」の和食、「麻布茶房」のクリームあんみつ。
お食事とデザートの分量が拮抗しているとの声が上がるほど、豪華なデザートにびっくり!
ところが、お料理を運んでくれるはずのレストランのスタッフが忙しく配膳が滞り気味、これを知ったEテーブルの若手組がウェイトレスに変身、先輩方に運んでいました。まさにSS精神、会場は笑いでいっぱいになりました。
食事を楽しみながらの小澤さんへの質問コーナーは、Aさんの柔らかい司会で進められ、いろいろな質問で盛り上がりました。「閔妃(みんぴ)暗殺」に関連して『閔妃(女性)が暗殺される、という状況は日本では考えられないが…』の問いに、『閔妃自身が特別政治にかかわったこともあるが、一般的に、韓国女性は、自分の持っている考えをはっきり発言する習慣がある』とのこと。教育の違いか、目から鱗でした。
また、韓国の障がい者(児)に対する国の対応について、韓国でも障がい者への理解はなかなか難しく、進んでいないようです。これは日本と変わらないですね。
また交流奉仕部から同窓会本部の被災学生の支援金の寄付があり、支部長に託されました。
これは2011年以来、Aさんが特技のペーパークラフトの作品を、園遊会やチャリティコンサートやバザーに出してくださり続けているものです。
最後に、恒例になった新年の「くじ引き」があり、“全員が当たる”というすごい企画、一等賞には素敵な花束が贈られ、琉球のテーブルセンターをお取りになった方、ペーパークラフトのトラや小物入れなどをお持ち帰りになった方、それぞれ満足の様子でした。
そして、最後は記念撮影でお開きになりました。
文責・Poco
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2016交流奉仕部 新年会