支部の集い 第二部
俳人・エッセイスト
黒田杏子(くろだ ももこ)先生
藍生俳句会
http://www.mmjp.or.jp/aoi/
○自己紹介
「1938年生まれ 寅年 獅子座 AB型 私の個人情報です」と自己紹介が始まると、会場の緊張がすっとほぐれる。
杖をついてのご登壇を心配する雰囲気を察してか、「櫻の巡礼を重ねていた頃は、早稲田の暉峻康隆先生から『韋駄天』とあだ名をつけられた私。脊柱管を痛めてしまいましたが、韋駄天が杖をついているだけです」と、今も衰えない行動力をアピールし、杞憂を解いてくださる。
この日のファッション・アイテムであるインドの手絞りのストールと、サリーの生地で仕立てたロングジャケットを肩から外し、「お返しくだされば結構ですので、ご覧になって」と会場に回覧してくださる頃には、更に空気が和やかになる。
大塚末子さん(着物デザイナー)考案の、もんぺスーツ姿となった先生は広げた扇を高く掲げられたが、そこに書かれているのは秩父出身、熊谷在住の金子兜太筆「熊谷の 暑さきわまり 美しき」の一句。埼玉支部への細やかな心遣いをいただきました。
以下に講演の内容を要約いたします。
○俳句で結ばれたご縁
東京女子大入学と同時に、母の勧めで俳句研究の会「白塔会」に加入、指導者の山口青邨に入門する。
卒業と同時に博報堂に入社。60歳定年まで在籍。俳句を止め学生時代から好きだった劇作・染色・陶芸など自己表現の手段を模索したが、28才で俳句の道へ復帰。
博報堂では、天野祐吉さん等の後、雑誌「広告」の四代目編集長に就任する。会社員と俳人という二足の草鞋を履くこととなるが、博報堂は「社内文化人」としてその活動を認めてくれる。
俳句のおかげで、「黒田杏子の達人対談(家庭画報)」などの仕事もあり、数えきれない多くの方と交流を深めることができた。
主な方のお名前を挙げると、永六輔さん、瀬戸内寂聴さん、堀文子さん、新川和江さん、馬場あき子さん、日野原重明さん、金子兜太さん、石牟礼道子さん、篠田桃紅さん、芳賀徹さん、小柴昌俊さんなどなど。
とりわけ自分がかつて土門拳の『筑豊の子供たち』に影響され、セツルメントの活動で現地まで応援に行った経験もあることから、いま金子兜太さん、石牟礼道子さんのお考えにはとても共感ができる。俳句はたった17音字の世界最短の詩形だけれども、言うべきことが言えないものでも無いと、お二人の俳句が教えてくれる。
篠田桃紅さんの『
一〇三歳になってわかったこと 人生は一人でも面白い』(幻冬舎)は、ただ今ベストセラーとなっているが、簡潔な文章で読みやすく、ともかく素晴らしい内容なのでお薦めしたい。
篠田さんはこの本で「年をとるということは、創造(クリエイト)しながら生きていくこと。100才を超えると「そこは治外法圏」なのだから毎日が創造。美術作品を作る時以上に、生活がマンネリズムに陥ってはいけない。道なき道を行く好奇心に満ちた心構えが要る。集団に属さず、独り潔く生きること」と刺激的。
○俳句の苗木
アメリカ国務省の女性外交官で英語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、日本語が堪能な、アビゲール・フリードマンさんと私の出会いは、奇跡のようだ。彼女はフランス駐在時に俳句を知り、日本駐在のわずか3年の間に、ふとしたきっかけで、富士山の見える沼津の御用邸での句会「沼杏(ぬまもも)会」に参加し、私と出会う。
初めての句会で、「俳句は魂のかたちです。句会は他の人の心のかたちを味わわせていただき、自分の魂を知るものです。句会は何より平等なもの」と私の語ったことに反応。「あなたを俳句の師と定めた」とフリードマンさんから、個人授業依頼の手紙が届く。初めての俳句授業では、いきなりレコーダー持参で、“日本人と桜”についてのお話をと要求されたが、28年間の桜巡り満行後なので、話す素材はいくらでもあった。二人の俳句授業に割ける月一回二時間と、限られた滞日期間という緊迫感で、濃密な授業が18カ月続いた。
フリードマンさんの帰国にあたり、この世に二つとない、誰とも違う自身を映しだす句を作るようにと、「不二」の俳号と、『皐月富士 別るるはまた 逢はむため』の句を贈るとともに、彼女を“俳句の苗木”と称え、世界中に俳句を愛する心が運ばれ、その苗木がどのように成長発展するか楽しみです、と励ました。
帰国して3年後、フリードマンさんはこの俳句体験を”The Haiku Apprentice”にまとめる。芳賀徹さん(国際日本文化研究センター・東大名誉教授)から日本語訳を勧められ、親友の中野利子さん(中野好夫氏息女)が引き受け、岩波書店から『
私の俳句修行』として刊行された。昨年は、私の俳句100句を選んで英訳し、ドナルド・キ―ンさん、ロバート・キャンベルさんから、巧みな訳への賛辞を受ける。本のタイトルとなった 『
I Wait for the Moon』(月を待つ)は、『みづうみの ほとりの寺に 月を待つ』からの引用だが、この句は、芭蕉の『三井寺の 門敲かばや けふの月』を踏まえ、更に芭蕉の句の背景には、漢詩『僧は敲く月下の門』(賈島《かとう》)のあることも記されている。
私の育てた「苗木」は、今確実に、英語圏の人々に俳句という素晴らしい日本文化を伝えてくれている。信じられない事実です。
○会場からの質問
「俳句はいつ作られるのですか?」には、明け方に5〜6句とのお答え。
それに付け加え、葉書や手紙を書かない日は一日も無いことや、テレビ無しの暮らしで、自分と向き合い、読書と思索する時間が増えたとも。
○講演をうかがった後で
黒田先生とフリードマンさんの師弟関係は、温かく、真摯で、奇跡のような珠玉の出会いだと思いました。『私の俳句修行』の中に、彼女が“私の心の「奥の細道」をたどる途上で”とあり、日本人以上に日本人の感性を備えた人だと感じました。
長寿を保ち輝きを保ち続ける方々のエピソードからは、齢を重ねて生きて行くこれからの人生の指針と、勇気をいただきました。楽しくお話下さったので、笑いながら聴いておりましたが、自分を見つめる時間を持ち、自分の人生の決定権は自分で持つことや、簡素に深く潔く生きることの大切さが、時が経つほどに心に響いています。
(Y.K)