最初の探訪場所は、神川町に鎮座する「金鑚神社」である。宮司さんの丁寧でわかりやすい説明を受けた。本殿という建物を備えず、奥の御室山そのものをご神体とする原始信仰の続く古社である。(本殿がない神社は、奈良県桜井市の大神神社、長野県諏訪市の諏訪神社と金鑚神社の三社だけだそうです)
江戸時代中期に金鑚神社は武蔵国二宮として位置づけられた。
境内にある重要文化財の『多宝塔』(1534年建立)は、阿保氏が子孫繁栄を願って建てたものである。特別に中まで見せていただいた。
三間四面の複雑な木組みの古い建築に、当時の技術の高さが見てとれた。屋根はこけら葺きで40年に一度葺き換えている。時間の都合で特別天然記念物の「鏡岩」に行けなかったので、別の機会に見たいものである。お話の後、お茶の接待を受け、杜の中でゆったりとした気分に浸ることができた。
次は「豆庵」で買い物。
満開の冬桜が往年の美女たちを迎えてくれた。国産の有機栽培の大豆だけを使用し、無添加物の豆腐、ゆば、がんもどきなどおいしい湧水と相まって、どれもおいしく試食しながら、みなワクワクし買い物に夢中になった。スイーツ、お醤油、漬物なども買い物の人気のようだった。
昼食は、「埼玉国際G.Cで会席膳をコーヒー付きでたのしんだ。
見晴らしの良い広々とした特別室での昼食は、とても豪華でおいしく、みな大満足で幸せなひとときだった。
午後の部は長瀞散策である。長瀞を含め秩父地域は2011年9月5日に「日本ジオパーク」に認定された。(「ジオ」は地球や大地を意味する言葉で、貴重な地形や地層のある自然公園をジオパークという。2009年から日本ジオパークの認定が始まり、今では秩父を含め20か所になっている。このうちの、洞爺湖有珠山、糸魚川、島原半島、山陰海岸、室戸の5か所は世界ジオパークに認定されている)
長瀞に「日本地質学発祥の地」と書かれた大きな石碑がたっている。長瀞は古くから地質学の研究がおこなわれてきたところであり、地質学のために長瀞を訪れた宮沢賢治が詠んだ歌碑がある。
つくづくと「粋なもやうの博多帯」荒川ぎしの片岩のいろ
博多帯にたとえた、パイ皮のように薄くはがれやすい結晶片岩の岩畳の模様を賢治は連想した。
自然の博物館」の学芸員の本間さんから、さらに岩畳の上を歩きながら、わかりやすい説明をいただいた。
長瀞で見られる岩畳にはさまざまな色の結晶片岩があるが主には黒色片岩と緑色片岩になる。緑色片岩は板碑に使われている。
「蛇貝岩」は気づかずに通り過ぎてしまいそうな岩であった。国会議事堂の市松模様の玄関に使われている。
「虎岩」は、色は褐色で表面が虎の毛皮のような模様で、金色に光る結晶が見られた。
小滝の瀬と呼ばれる、狭くて急な流れのところ(舟下りの船頭の腕の見せどころ)をほぼ90度に見えるほどに曲がると、そこから「瀞」と呼ばれる穏やかな流れが約500mほど続く。この先に大小の沼があちこちに見られ、「四十八沼」と呼ばれている。
岩畳の岩石面に「甌穴(ポットホール)」と呼ばれる、すり鉢状の穴ができていた。これは河床のくぼんだところに川の力でおこる渦流によってつくられる。「日本地質学発祥の地」の石碑の側面にも小さなポットホールがいくつも見られた。本間さんの話はまだまだ終わりをみないようであったが、時間の都合でお別れとなった。
そして最後の休憩場所の「長生館」へ。
長生館の心づくしの豪華なケーキセットをゆっくりと楽しみ、一日の疲れをとることができた。
今回の埼玉探訪は、朝早く、帰りも交通事情の影響もあり少々遅くなったが、ほぼ時間通りに進んだ。これは参加くださった皆さまのご協力と運転手さんの安全運転のお陰と思います。お疲れさまでした。そしてありがとうございました。
次回も多くの方のご参加をお待ちしております。
(T.M)
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