2008.10.30 Thursday
“バスで巡る 近代産業の父「渋沢 栄一」ゆかりの地 深谷”
2008年埼玉探訪
10月29日(水)、鰯雲が浮かぶさわやかな秋晴れ。本川越、川越、深谷と3箇所の集合地から45人を乗せた白い大型バスでの一日は、支部長はじめ役員の方々の入念な下調べと、原さん等熊谷ミニ支部会の地元の方々の行き届いたお世話を得て、深谷血洗島の渋沢栄一生地「中の家」訪問から始まりました。
栄一が子供の頃遊んだ池、号とした「青淵」も見て、白亜の建物、栄一記念館に移動。まず「日本の夜明け」という大政奉還時のパリ滞在を主とした15分ほどの映画をみて、バスの中の佐多さんの解説に合わせ、初歩知識を得ました。続いて、調理室で、Y前館長とボランティアお手作りの「煮ぼうとう」、地元取れ取れの野菜料理・漬物、デザートまで付く心もお腹も元気になる昼食をいただきました。
午後は記念館北側の「正面」に出て、大きな栄一像を背景に遠く赤城の山々をのぞみつつ、Y前館長の解説で、江戸は藍の畑、明治は桑畑がひろがり、中瀬とよばれた旧河岸に江戸(東京)への船の行き交う風景を思い浮かべ、やがて栄一の提案で鉄道が引かれていく昔を偲びました。その気持を持続しつつ館内展示へ。「論語・算盤」というステンドグラスの文字は、500以上の企業、600以上の公共事業へ関わった彼の根本精神「道徳経済合一」を示しています。
次はバスで10分ほど離れた国指定重要文化財「誠之堂」・県有形文化財「清風亭」へ。いずれも瀟洒な第一銀行(栄一が長く頭取を勤めた)関係の大正モダンの建築、東京瀬田で取り壊し寸前のところを深谷市の英断で移築したもの。前者は煉瓦造り、後者はスペイン風コンクリート造り、移築のご苦心もさることながら、ボランティア解説者の案内で入れていただいた内部に皆は感嘆の声をあげました。中でも栄一を中国の貴人に見立ててその喜寿を祝う誠之堂大広間のステンドグラスは、栄一の徳望を充分物語るものでした。
最後は日本煉瓦製造会社旧工場です。これは整備されていず、未公開のものを特に見学させていただく貴重な経験。市の職員の説明でまず旧事務所を見せていただきました。ここは技術指導のドイツ人の住宅としても使われ、最盛期の工場の模型も展示してあり、栄一が地元の上質の粘土産出を良く知っていて井上馨の相談をうけ、明治20年この地に設立したもので、昭和40年ころまで活動していたそうです。少し離れたところに工場の主体「ホフマン輪窯」があります。18,000個の煉瓦を焼く部屋が18もある大きいもので、トタンの覆い屋の鍵を開けての中にあり壮観でした。明治40年ころドイツ人ホフマンの設計図により、最盛期は月間約650,000個生産していたそうです。
さて本日の見学はこれで最後。スケジュール表を片手に、「すみません、急いでください」という役員の方、一生懸命バスに乗り降りした参加の皆様ご苦労様ということで、3時のティータイムは、事前に飲み物希望をとり、「グランドホテル深谷」に着くと「好きなケーキの前にお座りください」というすぐれもののご準備。皆はおいしいケーキをゆっくり食べ、45人自己紹介をし、必要事項の連絡があり、バスと電車に別れて解散。
夕日の沈むのを車窓から見つつこの有益な一日を終わったのでした。( 森 )
アルバムはこちらから → 写真館
10月29日(水)、鰯雲が浮かぶさわやかな秋晴れ。本川越、川越、深谷と3箇所の集合地から45人を乗せた白い大型バスでの一日は、支部長はじめ役員の方々の入念な下調べと、原さん等熊谷ミニ支部会の地元の方々の行き届いたお世話を得て、深谷血洗島の渋沢栄一生地「中の家」訪問から始まりました。
栄一が子供の頃遊んだ池、号とした「青淵」も見て、白亜の建物、栄一記念館に移動。まず「日本の夜明け」という大政奉還時のパリ滞在を主とした15分ほどの映画をみて、バスの中の佐多さんの解説に合わせ、初歩知識を得ました。続いて、調理室で、Y前館長とボランティアお手作りの「煮ぼうとう」、地元取れ取れの野菜料理・漬物、デザートまで付く心もお腹も元気になる昼食をいただきました。
午後は記念館北側の「正面」に出て、大きな栄一像を背景に遠く赤城の山々をのぞみつつ、Y前館長の解説で、江戸は藍の畑、明治は桑畑がひろがり、中瀬とよばれた旧河岸に江戸(東京)への船の行き交う風景を思い浮かべ、やがて栄一の提案で鉄道が引かれていく昔を偲びました。その気持を持続しつつ館内展示へ。「論語・算盤」というステンドグラスの文字は、500以上の企業、600以上の公共事業へ関わった彼の根本精神「道徳経済合一」を示しています。
次はバスで10分ほど離れた国指定重要文化財「誠之堂」・県有形文化財「清風亭」へ。いずれも瀟洒な第一銀行(栄一が長く頭取を勤めた)関係の大正モダンの建築、東京瀬田で取り壊し寸前のところを深谷市の英断で移築したもの。前者は煉瓦造り、後者はスペイン風コンクリート造り、移築のご苦心もさることながら、ボランティア解説者の案内で入れていただいた内部に皆は感嘆の声をあげました。中でも栄一を中国の貴人に見立ててその喜寿を祝う誠之堂大広間のステンドグラスは、栄一の徳望を充分物語るものでした。
最後は日本煉瓦製造会社旧工場です。これは整備されていず、未公開のものを特に見学させていただく貴重な経験。市の職員の説明でまず旧事務所を見せていただきました。ここは技術指導のドイツ人の住宅としても使われ、最盛期の工場の模型も展示してあり、栄一が地元の上質の粘土産出を良く知っていて井上馨の相談をうけ、明治20年この地に設立したもので、昭和40年ころまで活動していたそうです。少し離れたところに工場の主体「ホフマン輪窯」があります。18,000個の煉瓦を焼く部屋が18もある大きいもので、トタンの覆い屋の鍵を開けての中にあり壮観でした。明治40年ころドイツ人ホフマンの設計図により、最盛期は月間約650,000個生産していたそうです。
さて本日の見学はこれで最後。スケジュール表を片手に、「すみません、急いでください」という役員の方、一生懸命バスに乗り降りした参加の皆様ご苦労様ということで、3時のティータイムは、事前に飲み物希望をとり、「グランドホテル深谷」に着くと「好きなケーキの前にお座りください」というすぐれもののご準備。皆はおいしいケーキをゆっくり食べ、45人自己紹介をし、必要事項の連絡があり、バスと電車に別れて解散。
夕日の沈むのを車窓から見つつこの有益な一日を終わったのでした。( 森 )
アルバムはこちらから → 写真館