2007.07.27 Friday
“日本の女性と表現” 07年第4回「銀座の教室」
〜表現のある生活、ない生活〜
講演中の松岡励子さん
7月27日午後2時から第4回「銀座の教室」が開かれました。今回の講師は1941年卒の大先輩の演出家、松岡励子さん。会場は満席でした。埼玉支部からは8名が参加しました。
●松岡さんの生い立ち
1919年生まれの松岡さんが生まれ育ったご家庭は・・・。
八戸出身のお父様は、そのおじい様の教育方針のもと、東京で高等教育を受け、新聞記者として活躍。
お母様は高等小学校を卒業後金物店へ奉公に出たものの、学問への情熱絶ち難く、良き出会いを経て女学校へ進学。「女性も自立を!」の精神で婦人雑誌の記者となり、尊敬する方の弟と結婚。大正12年から洋装で父兄会に来るようなハイカラな女性でした。
その松岡家の教育方針は「自分の意見をはっきり言える人」。3人の子供たちには毎日夕食後に「演説の時間」が課せられていました。「いち、演説」で始まる演説の時間には、それを聞きにくるご近所の人々で松岡家は賑わっていました。
松岡さんは、その後の教育を受ける課程で、「ドラマ」との接点は多く、YWCAで明治時代に来日したカナダ人の教師の「日本の女性の表現が見えない」の一言に表現の大切を学びます。
●「笑い」・「泣き」について
松岡さんがお父様の転勤に伴い朝鮮の小学校に通っていた時のこと、年に一度の偉い方の訪問(注;戦後生まれにはこのあたりの歴史の知識が不足しており、松岡さんのお話になった役職名を理解できませんでした。かなりの要職の方のようです)に、学校中が極度の緊張に包まれていました。そこに登場した偉いさんの何ともいい難い恰幅の良さに、クスクスという笑いが生徒の間に起こり、波のように笑いが伝播していきました。翌日、先生は学校を辞めました。
こわい、冷たい「笑い」の経験でした。
「泣けない時代」もありました。出征兵士を送る時、その家族に泣くことは許されませんでした。
「ユーモアを持っている人は絶望しない」
●「表現」について
松岡さんの合図とともに、聴衆席に座っていたグループが立ち上がり、詩「夏の女王」の朗読を始めました。ある部分は全員で、ある部分は一人で、
声の強弱・高低、抑揚の変化に富んだ朗読は「ドラマ」そのものでした。
次に、ひとりの方が詩「うましめんかな」を朗読されました。
(注;栗原貞子さんの詩です。ここに書き込もうかと思いましたが、著作権のことを考えやめておきます。「うましめんかな」で検索するとすぐに見つかります。)
以前、吉永小百合さんの朗読を聞いたことがありますが、今回の朗読の印象はまったく異なるものでした。
「朗読」=「表現」、読み手の思いが伝わるものであることを体感しました。
軽い語り口に会場は何度も笑いの渦に巻き込まれました。
松岡さんは聞き手の心をつかむ「表現」の達人でした。
今年も八月が近づいてきました。
指導されているグループの朗読を通して、松岡さんの平和への思いが「表現」された、と私は受け止めました。
(Y)
講演中の松岡励子さん
7月27日午後2時から第4回「銀座の教室」が開かれました。今回の講師は1941年卒の大先輩の演出家、松岡励子さん。会場は満席でした。埼玉支部からは8名が参加しました。
●松岡さんの生い立ち
1919年生まれの松岡さんが生まれ育ったご家庭は・・・。
八戸出身のお父様は、そのおじい様の教育方針のもと、東京で高等教育を受け、新聞記者として活躍。
お母様は高等小学校を卒業後金物店へ奉公に出たものの、学問への情熱絶ち難く、良き出会いを経て女学校へ進学。「女性も自立を!」の精神で婦人雑誌の記者となり、尊敬する方の弟と結婚。大正12年から洋装で父兄会に来るようなハイカラな女性でした。
その松岡家の教育方針は「自分の意見をはっきり言える人」。3人の子供たちには毎日夕食後に「演説の時間」が課せられていました。「いち、演説」で始まる演説の時間には、それを聞きにくるご近所の人々で松岡家は賑わっていました。
松岡さんは、その後の教育を受ける課程で、「ドラマ」との接点は多く、YWCAで明治時代に来日したカナダ人の教師の「日本の女性の表現が見えない」の一言に表現の大切を学びます。
●「笑い」・「泣き」について
松岡さんがお父様の転勤に伴い朝鮮の小学校に通っていた時のこと、年に一度の偉い方の訪問(注;戦後生まれにはこのあたりの歴史の知識が不足しており、松岡さんのお話になった役職名を理解できませんでした。かなりの要職の方のようです)に、学校中が極度の緊張に包まれていました。そこに登場した偉いさんの何ともいい難い恰幅の良さに、クスクスという笑いが生徒の間に起こり、波のように笑いが伝播していきました。翌日、先生は学校を辞めました。
こわい、冷たい「笑い」の経験でした。
「泣けない時代」もありました。出征兵士を送る時、その家族に泣くことは許されませんでした。
「ユーモアを持っている人は絶望しない」
●「表現」について
松岡さんの合図とともに、聴衆席に座っていたグループが立ち上がり、詩「夏の女王」の朗読を始めました。ある部分は全員で、ある部分は一人で、
声の強弱・高低、抑揚の変化に富んだ朗読は「ドラマ」そのものでした。
次に、ひとりの方が詩「うましめんかな」を朗読されました。
(注;栗原貞子さんの詩です。ここに書き込もうかと思いましたが、著作権のことを考えやめておきます。「うましめんかな」で検索するとすぐに見つかります。)
以前、吉永小百合さんの朗読を聞いたことがありますが、今回の朗読の印象はまったく異なるものでした。
「朗読」=「表現」、読み手の思いが伝わるものであることを体感しました。
軽い語り口に会場は何度も笑いの渦に巻き込まれました。
松岡さんは聞き手の心をつかむ「表現」の達人でした。
今年も八月が近づいてきました。
指導されているグループの朗読を通して、松岡さんの平和への思いが「表現」された、と私は受け止めました。
(Y)