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初参加の方
美味しい食事と楽しいお喋りの後「女子大クイズ」で盛り上がり、
手作りの座席カードや毎年恒例のおみくじなど随所に工夫満載。
川越ミニ支部として、「けやきの郷」を支援したいという寄付金も集まり
「けやきの郷」後援会にお届けすることができました。
◇第一部交流会
・寄付 「手芸の会」より埼玉支部へ寄付金をいただきました。
・「社会福祉法人さくら草」へ埼玉支部から寄付金をお渡ししました
・ミニ支部会、サ−クルから活動報告がありました。
・高山支部長から、役員追加募集、新たな試みとして、若い世代も参加できるイベントの提案がありました。
・7月にご逝去された元支部長の石井恵子さんのお嬢さまからご挨拶を頂き、埼玉支部でお預かりしている「けやきの郷」への寄付金に対して、埼玉支部から領収書をお渡ししました。
小澤秀子さんが石井さんの思い出をお話しされました。
・「社会福祉法人けやきの郷」の立ち上げからかかわってこられた森晶子さんから、支部のみなさまへ台風19号で被災した「けやきの郷」へのご支援に対する感謝のご挨拶がありました。
個人で寄付をされる方は下記の口座をご利用ください。
けやきの郷払込取扱票 口座記号番号:00110ー0ー365442 加入者名:けやきの郷後援会
◇第二部バザ−
・毎年恒例の梅干しやジャム、ゆず、りんご、お米、手作りのアクセサリ−や袋物、持ち寄り品など賑やかでした。
・元支部長の石井恵子さんの愛用されたアクセサリ−なども出品していただき、ご協力頂きました。
・会議のあと急いでかけつけてくださった小山惠子同窓会長にご挨拶いただきました。ことしも同窓会グッズを沢山持ってきてくださいました。
・皆さま、「お茶を楽しむ会」の呈茶を飲みながらゆっくりおしゃべりを楽しんでいらっしゃいました。
今までの常盤公民館が今回は使用できなかったため、新しい会場となりましたが、清潔で使いやすいと好評でした。
当日のアルバムは→ こちら
]]>礼拝形式でクリスマスに纏わるお話を伺い、オカリナの美しい音色を堪能しました。
牧師様がお帰りになった後はいつもの昼食会、
楽しいお喋りをしながらクリスマスリースや寄せ植えを作りました。
最後にオカリナの伴奏で皆で「きよしこの夜」を歌って解散しました。
]]>初の試みとして冒頭で手芸の会の作品の展示・販売があり、ちょっぴり早いバザー気分を味わいました。
今回は茶箱でのお点前。箱の中に道具はもちろんのことお菓子までセットされていて、お湯さえあれば野外でもお茶を点てることが出来るのだそうです。
使われた茶杓は貝で作られたもので、とても美しいものでした。
]]>今回の参加者は38名、集合は東武スカイツリーラインの東武動物公園駅でしたがほとんどの方は初めて降りる駅だったと思います。慣れない路線の上、朝の濃霧で列車のダイヤが乱れていましたが大幅な遅刻もなく皆さん集合されたのはさすが東女生、予定の時間には割烹和泉屋に全員到着していました。
割烹和泉屋は水曜日が定休日なのですが、今回は私たちの為に貸切で営業してくださり、出発の時間に間に合うようにお食事を提供していただきました。
お陰様で美味しいお食事と愉しいおしゃべりをゆっくり楽しむことが出来ました。
初参加の方も同窓という輪の中で楽しまれたことと思います。
食事の後はタクシーに分乗して次の目的地、宮代町のコミュニティセンター「進修館」へ向かいました。
広い敷地の中にコミュニティセンターとは思えない個性的な建物が建っていました。
案内をお願いした地元の市民ガイドクラブの方々が用意してくださった資料を基に概要を説明していただいたあと、2グループに分かれて館内を周りながら詳しく、裏話も交えたお話を伺いました。
設計した象設計集団の設計士のお一人、町長の姪の富田玲子さんが進修館についてお話しています。
◆進修館について 富田玲子先生 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=7oZB8NN8C94
その後、農村住宅をモチーフにした”学校は町“ ”教室は住まい“ ”学校は思い出“というコンセプトで造られた宮代町立笠原小学校へと移動しました。
校舎の外観はもとより校舎内もユニークで「竜宮城のような」という形容詞がぴったりな小学校でした。
校舎内はもちろん校庭も裸足という「自然の中でのびのびと」という教育方針は保護者の共感を得ていて、ここ数年の入学児童の増加に繋がっているとのことでした。
校庭には宮代町にある樹木が植えられていて、学校に居ながらにして四季の移り変わりを肌で感じることが出来るのだそうです。老婆心ながら校庭の管理は大変ではないのかしら?と思うほどでした。
小学校を後にして町立図書館を経由し山崎山へ向かいました。
花と緑のトラスト保全区に指定されているためそのままの自然が残っています。この季節はほとんど花が咲いておらず少し残念でしたがその代りに竹工芸の作品が点在していて目を楽しませてくれました。
山崎山を抜けたところにある「新しい村」が今回の最終目的地でした。
興味深い話が多かったため時間が足りないくらいあっという間の2時間でした。
帰りを急ぐ方も多かったのでここで解散となりました。残った方は宮代町の特産品等を直売する森の市場「結」で買い物をしたり、森のカフェでコーヒーを飲んだりソフトクリームを食べたりしました。
東武動物公園駅までバスで向かう方々がほとんどでしたが、ガイドの方々と一緒に歩いて駅まで向かった数名は最後の東武動物公園駅までガイドしていただきました。
宮代町は今でも初代町長の想いが息づいている素敵な町でした。
途中座る場所もなく歩き続けたのでお疲れになったことと思いますが、皆さまのご協力のお陰で無事に終えることが出来ました。ありがとうございました。
(Y・S&C・S)
]]>5人で埼玉の新しい観光地の飯能のムーミンバレーパークを訪ねました。
宮沢湖の湖畔に北欧の雰囲気を感じ、ムーミンの物語に哲学を想う遠足になりました。
夏休み公演のミュージカル「ポアンアンのにおい」(原作:岡田淳)は日常を忘れて、大人も惹きこむピュアな2時間でした。
本格的な演技と歌唱とダンスに観客の子どもたちも、怖いシーンでは両目を覆い、鏡に映ったように見せるシーンでは手を叩き、笑い、チャイムが鳴ると「あっ、学校だね」とすぐに反応!
子供が反応するのは本物です。
内容を深く考えさせられる上質のミュージカルに大人も心が満たされました。
]]>5月18日に総会が無事終了しました。
新しい役員3名が加わり今年度の埼玉支部活動が始まりました。
昨年埼玉支部は、創立20周年を迎えました。
会員数も3800名余となり、活動も他の支部の模範となっているようです。
20年前にこの支部を立ち上げ、それからずっと支え続けてこられた方々に感謝いたします。
私は、4年前にこの埼玉支部に参加させていただきました新参者です。大学で学び、仕事、子育て、親の介護を経験し、自分のこれからを考えたとき、同窓会に目が向きました。同じ大学で学んだという安心感、すてきに人生を生きていらっしゃる先輩や後輩から学ぶことの素晴らしさに魅せられました。
さいたま市なども高層マンションが立ち並ぶようになり、私が大学に通っていた頃の街並とは大きく変わりました。時代は移っていきますが、同窓生精神はあまり変わらないものと感じました。
この魅力を多くの方に伝えたい、多くの方と繋がりたい、と思っております。
微力ですが、努力してまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。
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東武動物公園駅からバスに乗ること25分、
関宿台町で下車し観光ボランティアさんと合流してまず鈴木貫太郎記念館を訪れました。
白川一郎画伯の「最後の御前会議」・玉音放送の再発盤などの展示物の解説や、二二六事件の際に奥様の機転で一命を取り留めたエピソードなどを聞きながら見学しました。
お会いできませんでしたがお孫さんの鈴木道子さんは女子大出身!思わぬところで縁を感じました。
記念館近くの實相寺には鈴木貫太郎の墓があり、また、関宿城の本丸の一部が移築されていました。
千葉県内では城郭の本丸建物が現存しているのはここだけとのことでした。
そこからまたバスに乗り、今回の目的地である千葉県立関宿城博物館へ移動。
昼食に郷土弁当をいただきました。
博物館は残っている文献を基に関宿城の天守閣を出来るだけ忠実に再現して建てられたものだそうです。
各階テーマ毎に展示物がありますが今回は1階の河川関連の展示を中心に説明をしていただきました。
「水を制する者は国を制す」という言葉の通り、家康も江戸開府とともに東京湾に流れていた利根川水系の治水に着手しています。その後長い年月を掛けて行われた治水事業の推移を表したパネルや江戸当時のジオラマは見応えがありました。
説明後に展望室へ移動して利根川から江戸川への分岐点を教えていただき、素晴らしい眺めを堪能しました。
この日は筑波山が見えましたが、天気の良い日には男体山や富士山も見えるそうです。
その後40分ほどは博物館周辺を散策するグループと1キロ先の水閘門を見学するグループに分かれて行動しました。
閘門とは、水位の異なる河川や運河、水路の間で船を上下されるための装置です(見沼通船堀も閘門です)。
展望室から見た利根川から分岐した江戸川の流頭部に8つのゲートからなるコンクリート製の水門があり、その左側(茨城県側)に水閘門があります。大型建造物がレンガからコンクリートになる過渡期に作成されたもので、当時の建築技術を知るうえでも貴重な建造物ということでした。
歩いていると郭公や鶯、雉の鳴き声が聞こえ、日常では感じられない自然を体感しました。
水閘門から戻り、また全員で酪農農家(戦後鈴木貫太郎の呼び掛けで始まった)の牛や関宿城址等を見学しながら1時間ほど掛けて鈴木貫太郎記念館まで戻りました。
ここでボランティアさんと別れバスに乗り、東武動物公園駅で解散しました。
たくさん歩きましたが、ボランティアさんの為になるお話であっという間の1日でした。
(S.Chieko)
アルバム→ こちら
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参加者一同、古地図を参照しながら川越を中心に広がる昔の街道を辿って、 道がつないだ人々の暮らしに思いを馳せました。 NAOKO
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〈第一部 総会〉
荒木支部長のあいさつと校歌斉唱。
すべての議案は会員の拍手により承認されました。
今年度は役員改選の年となり、高山新支部長のもと、新しい体制での発足となりました。
〈第二部 講演会〉
『かぐや姫の罪と罰』
東京女子大学 現代教養学部教授 中野貴文先生
*プロフィール*
1997年東京大学文学部卒業
2005年東京大学大学院人文社会系研究科博士課程単位取得満期退学 博士(文学)
熊本大学准教授を経て、現在、東京女子大学現代教養学部教授 日本中世文学専攻
著書に『徒然草の誕生‐中世文学表現史序説‐』他
このたびは、皆様の前でお話できる機会を賜り、心よりお礼申し上げます。
大学で、古典文学の研究と教育に携わって、ようやく10年の月日が経過しました。
その間、大学を取り巻く環境は、厳しさを増しております。「キャリア」や「資質・能力」などといった言葉のもと、すぐ役に立つ学問が強く求められるようになり、文学、とりわけ古典文学などは、最も役に立たない存在として、日陰に追いやられ続けています。学生たちの関心も、正直、薄いといってよいでしょう。
しかし、すぐ役に立つものは、すぐに役に立たなくなるものです。
改めて読み直し、そこから人間の本質を掬い取ってみることは、このような時代だからこそ必要なのではないでしょうか。
文学は、人々の祈りが言葉という形をとって現れたものです。
たとえば、事故や震災等で大切な人を失った人がいたとしましょう。
「なぜ、私ばかりがこのような悲しい体験をしなければいけないのか」、その人はきっと自問自答を繰り返すでしょう。その時、「太平洋プレートとフィリピン海プレートが衝突して…」といった科学的な「正解」は、その人にとって何の救いももたらさないでしょう。
傷ついた人を救えるもの、それこそが文学の力だと私は思っています。
本講演では、『竹取物語』を読み、そこに人々のいかなる思い、願いが込められているか、皆さんと一緒に解き明かしていきたいと思います。
よく通る声は福山雅治のようでもあり、絶妙な間で緩急をつけた話は金八先生のような説得力に満ち、あっという間の1時間半でした。
たびたび挟まれる問いかけに、講演を聞くというより、中野先生の講義を受けている気にさせられ、司会のIさんは、「女学生に戻って、お教室で先生の講義の続きを聞いてみたい気持ちになった」とおっしゃるほどでした。
身近な例や古典業界の常識を盛り込んだ内容で、とても古典が親しみやすく感じられました。
質疑応答の時間では、恋する気持ちを一千年も前から文学の重要なテーマに据えていた日本の特異性の話や、作者不詳の竹取物語を書いたのが、どんな人物だと先生がお考えになっているのかなどをお聞きし、大いに盛り上がりました。
講演の詳しい内容をお知りになりたい方は→ こちら (同窓会員限定)
〈茶話会〉
役員らにより紅茶とショートケーキがテーブルに並べられ、イチゴを見て「味しそう」の声も聞こえました。
初めてや久しぶりの方々が紹介され、お若い方の話に我が身の子育て時代を思い出したひとときでした。
「令和」に関しての「万葉集画撰」が紹介され、和歌にちなんだ日本画を眺め、古代のゆとりを感じました。
各ミニ支部会やサークル、会員個人からのお知らせが続き、定時にお開きとなりました。
(I)
当日のアルバムは→ こちら
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深谷の老舗割烹『新楽』で、季節の食材を活かした昼食をおいしくいただいた後、車で神川町の原邸に移動。
神流川の流れを見下ろすお庭を散策しました。
広い邸内にある山荘が舞台になり、山荘前の広場にテントと椅子が並べられ、観客でいっぱいでした。
同窓生の原さん主催の筝の演奏会は毎年春に開催され、今年で20回になります。
演奏される方々の着物姿も例年楽しみなのですが、今年は黒留袖と紋付袴の正装姿がとても印象的でした。
山田流筝曲の重鎮・谷珠美先生をはじめ28名の方々が、13の曲を次々と演奏されました。
芸大在学中の谷先生のお孫さんも特別参加されていました。
演奏の間には、曲毎に調弦された筝を一気に取り替えるプロの方達がいて、沢山の曲目の演奏を支えていました。
新緑の美しい庭内で、爽やかな風と唄・筝・三弦・尺八の音に包まれ、豊かな時間を過ごすことができました。
荒木支部長挨拶の後、新役員候補の方3名の紹介がありました。
各ミニ支部会・サークルから様々なお誘いがありましたので、その時々のメルマガで詳細を連絡いたします。
興味深い企画ばかりですのでご都合の良い方はぜひご参加ください。
5月18日(土)の支部のつどいのお手伝い(道案内・マイク担当)を募集し、それぞれお手伝いしていただける方が決まりました。
当日はよろしくお願いいたします。
今回の議案はバザーについてと秋の埼玉探訪の協力のお願いでした。
バザーについては、諸々の事情による出品数の減少を受けどのようにしたら活発なものに出来るか意見を伺いました。会員の交流の場として細々とでも続けてほしいという意見がありました。
役員会からは、支部のつどいの出欠はがきとホームページを利用して手作り品等の出店希望者を募っている、と報告を致しました。
埼玉探訪の協力については意見交換を経て、ミニ支部会の横の関係を密にして協力していただけることになりました。担当になったミニ支部会の方には6月より役員会に出席していただき、計画、下見、当日のお手伝いなどの支援をお願いすることになりますが、その際はよろしくお願いいたします。
2件とも難しい議案でしたが前向きに検討してくださり、役員一同感謝しております。ありがとうございました。
今年は役員改選の年なので総会後に新体制になります。
役員の人数も減り不慣れな点もあるかと思いますが、皆様と一緒により良い埼玉支部にしていきたいと思っておりますので今後ともよろしくお願いいたいます。(S)
]]>食事をしながら近況を報告し、デザートの後には恒例のクイズ大会を行いました。皆さん脳トレをしながら賞品を獲得していました。
初参加の方も1名お見えになり、同窓生の輪が広った嬉しいひとときでした。
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11月14日に参加者8名で、都立小金井公園内にある「江戸東京たてもの園」を訪れました。
敷地面積約7haの園内はテーマごとに、東、西、センター3つのゾーンに分けられ都内に存在した江戸時代前期から昭和中期までの文化的価値の高い歴史的建造物を移築し、復元・保存・展示されています。
ボランティアガイドの方に案内していただき2・26事件の現場となった高橋是清邸豪華なシャンデリアのある三井八郎右衞門邸などを見学。
吹き抜けの居間を中心に書斎・寝室を配した建築家前川國男邸では、シンプルな間取りながら収納棚がすっきりと収められ「こんな家に住みたい!」の声。
和傘問屋、金物屋、乾物屋などの商家、銭湯、居酒屋が立ち並ぶゾーンでは当時の商売道具や商品も展示され下町の風情を楽しみました。
園内のたべもの処「蔵」で昼食をとった後、ドイツ人建築家デ・ラランデ邸のテラスで美味しい珈琲をいただきながら、さいたま市地区ミニ支部からご参加いただいた方々と共に、秋の景色と楽しいおしゃべりで心温まる1日を過ごすことができました。
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その後、『誠之堂』『清風亭』『渋沢栄一記念館』を見学しました。
誠之堂と清風亭は、第一銀行の世田谷区瀬田の施設の敷地内にあったものを、渋沢栄一生誕の地・深谷市に移築復元したものです。
第一銀行行員たちの出資で造られた、誠之堂も、清風亭も、ステンドグラスやこじんまりした佇まいが、とても居心地の良い空間でした。
壊される予定の建物が移築によって残り、今は国の重要文化財に指定されて、本当に良かったと思いました。
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【第一部交流会】
「運営委員会」から、誰もが参加出来る「交流会」へと名称と形を変え、2回目の集まりでした。
45名の方が出席くださり、役員会から支部活動のご報告をさせていただくとともに会員の皆様のご意見を伺い、活発な会となりました。
役員会より
・寄付「手芸の会」と「観劇の会」より埼玉支部へ寄付をいただきました。
「社会福祉法人さくら草」へ埼玉支部から寄付金をお渡ししました。
・VERA募金入金完了の報告 ・埼玉支部製作はがきのミニ支部会(代表)への配布
・20周年記念食事会の感想 ・ミニ支部会の地区分けの見直しについて
・次期役員について 現状をお伝えし、ミニ支部会代表の話を伺いました。
その他
大谷事務長の挨拶
サークル・会員より
・栞の会(サークル)の紹介
・数楽の会(数専会のゼミ)の紹介
【第二部バザー】
みなさま、丹精こめた手作り品、毎年恒例の梅製品、柚子やお米、お茶などの農産品や持ち寄り品などのお買い物を楽しみ、「お茶を楽しむ会」の呈茶でホッとなさっていらっしゃいました。
また、今年は大谷事務長が同窓会作成の女子大グッズを持参してくださり、同窓会館でしか購入することの出来なかった長財布やパスケースなどのコーナーも盛況でした。
今年は皆様からの持ち寄りの品が少なかったことを受け、今後は出したくても持ってくることが出来ない方の対応を考えた方が良いという意見が出ました。
また沢山お買い物をされた方に近くのコンビニで宅配便が利用出来るというご案内をすれば良かった、などの反省点もでましたが、みなさまのご協力のおかげで無事終了することができました。
ありがとうございました。
C.Sakuma
]]>(さいたま市地区ミニ支部会主催・講演会)
中村さんは、平成13年に「NPO法人 メダカのがっこう」を立ち上げました。
◇特定非営利活動法人メダカのがっこう
メダカは今や絶滅危惧種です。生き物たちを絶滅においやるような環境で作られた食糧を食べていては、健全な生命を維持できません。メダカが泳ぎ回る田んぼを復活させ、食の安全と豊かな自然を子供たちに残そうと、このようなNPOを立ち上げたそうです。
<田んぼから瑞穂の国の自然再生を>
田んぼに水を張るだけで生き物がやってきます。
ミミズは土を肥やし、オタマジャクシやクモは害虫から稲を守ってくれるので、自然と共生した田んぼは化学肥料や農薬を使わずにすみます。沈黙していない真に美しい田んぼが必要なのだそうです。
<米中心の食生活で健康を。自給自足力をつけよう>
安全なものは自分たちで作るしかありません。
米や味噌、醤油、油を無農薬・無添加で作るなどの自給自足教室が随時開かれています。
また農家から生物多様性米をフェアトレードで購入し、応援することができます。都会に居ても少しの時間で自給自足生活を始められます。
米は1株から3000粒も収穫でき、非常に栄養価が高く、古来より人を養う優秀な穀物と言われてきました。
しかし日本の米の消費量は激減しています。
今こそ一汁一菜の食事を見直したいですね。
<現代の危ない食品>
儲け中心の遺伝子組み換え種の危険性や、グローバル企業の圧力による、日本の貴重な種を守ってきた「種子法」の撤廃のことなど。特にナオニコチノイド系農薬の危険性についてのお話は興味深かったです。
私達にできることは、企業に働きかけること、買い物で投票運動をすること、食品安全委員会に働きかけることなどたくさんあるそうです。
小さいことから始めていきたいと思いました。
身近な話題を交えわかりやすく紙芝居を使ってお話して下さり、大変引き込まれました。
情熱的にお話しされる一方で、田んぼで出会う生き物たちへの中村さんの温かいまなざしに胸が熱くなりました。
貴重なお話をどうもありがとうございました。
報告 Y.Ishikawa
当日のアルバム→ こちら
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この日は、20周年のお祝いにふさわしく、よい天候に恵まれ、60名の方が集まりました。一人のキャンセルもなかったのは、すばらしいことです。
大学同窓会からは、今年6月に会長になられた小山惠子様(’79文社)、事務長の大谷道子様(’76文英)がお忙しい日程のなか、駆けつけてくださり、ご挨拶くださいました。
20年前に産声をあげた埼玉支部も3800余名の会員を擁し、自画自賛ですが、「支部の中で一番!」と胸を張れる支部に成長いたしました。
乾杯の音頭を取ってくださった初代支部長の赤石和子様から、創立に伴うご苦労話をお聞きしました。
ご尽力くださった発起人の皆様には改めて敬意を表します。
乾杯の後、秋らしい上品な料理が並び、中でも「いがぐり」の中からほっこり甘い栗が顔をのぞかせて、可愛らしいこと、おいしいこと!目で舌で堪能いたしました。
後半は、ミュージカル劇団「ガッドスミス」の歌、踊り、岡田淳作「雲の上へいった話」の語りなど、短い時間でしたが、凝縮された「ガッドスミス・ワールド」を楽しみました。
また、同劇団の長澄桃子様(’78文哲)が、大学時代に後の劇作家、故如月小春様(‘79文哲)と結成した劇団を「綺畸(キキ)」と命名したお話などは、女子大のキャンパスを思い出し懐かしく思いました。
皆で歌った『友達はいいもんだ』の一節「みんなはひとりのために ひとりはみんなのために・・」はこの集まりにピッタリでした。名残を惜しみつつ散会いたしました。
※アルバムはこちら→ ここ
]]>10月17日(水)に初参加の方3名を迎え計10名で「スペイン料理と映画鑑賞会」を楽しみました。
越谷レイクタウンkaze3階にあるスペイン料理店「MIGAS MIGAS(ミガスミガス)」で、魚介前菜やパエリアに舌鼓を打ちながら近況報告やプレゼント抽選会を行いました。食事後は同じ階にある映画館で卒業生の多部未華子さんが出演している「日々是好日」を鑑賞しました。茶道を通して成長していく主人公と共にゆったりとした時間を過ごしました。その後は抹茶繋がりということで2階にある「はんなり抹茶カフェ」に移動して甘いものを頂きながら映画の感想などを語り合いました。
*写真はクリックすると大きくなります
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初めて利用した会場で少し不安でしたが、12名の参加を得てほっといたしました。
熊谷地区ミニ支部会に初参加の方が2名、本当にお久しぶりの方が1名いらっしゃったことも大きな喜びでした。
朗読を学んでいるNさんの歯切れの良い説明と案内で、ウォーミングアップ編として、お口の体操やアナウンサーさながらの発声練習の後、実践編として、詩を唱和しました。
手作りのテキストには、Oさんの可愛いイラストつきです。
朗読の楽しさと共に、顔の筋肉も鍛えられ、滑舌の練習にもなり、心・脳・体に良いことを実感できました。
その後、お茶とケーキをいただきながら、お話も盛り上ってとても楽しい時間でした。
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川越市西文化会館メルトにて、溝尾良隆先生(会員のご主人様です)のご講演をいただきました。一人のキャンセルもない31名の出席者を得て、狭い会場はいっぱいになりました。
先生は風邪気味の上、1時間前に福井からお帰りになったばかりでしたが、パワーポイントを使って、わかりやすく丁寧にお話しくださいました。
先生は、地理学をご専門でしたが、日本交通公社にお勤めなさり、その後立教大学の観光学部長等を歴任され、現在同大学名誉教授です。
川越市関係では、伝統的建造物群保存地区保存審議委員、第4次川越市総合計画会長等々をなさっていらっしゃいます。また、全国及び諸外国にも観光振興について関わりを持たれ、著書も多数あります。
そのような素晴らしい先生に、ぜひお話しをお聞きしたいとお願いして、実現しました。
日本は、なぜ「ふつう」の国ではないのか?
7世紀後半または8世紀初頭からずっと「日本」という国号、
「天皇」という称号が続く。
(こんな国はほかにはない。)
・外国では、国が分離したり、解体したり、合体したりしている。
日本は 小さい国?
・ヨーロッパでは日本より大きい国は3つ。(旧ソ連を除く)
・人口は、ヨーロッパでは日本より多い国はない。(〃)
・海岸線は世界第6位。東西南北の長さは世界7位。
・しかも自然景観・地域特性の豊かなこと!
「日本は風景が多すぎる」(明治20年ごろ来日の英人作家キップリング)
大陸と一衣帯水の距離がよい
・外国から攻めにくかった。
・最終ゴールは、情報が集積する。(アウトプットしない)
しかし、国際性に乏しくなった。
・明治時代、植民地にならないように、フランスの植民地マダガスカルを研究した。
日本は中央集権国家である
・「どうして国の方針が隅々まで行き渡り、理解されているのか」と外国からは見られる。
・外国では自治体優先が多い。
・国が税金をとって、県・市町村に配分。市町村の力を弱めていった。
多種多彩な日本の自然
・「日本アルプスは、山頂までの森林と渓谷の美しさはヨーロッパ・アルプスをはるかにしのぐ」(英人W.ウエストン)
・4つのプレートがぶつかり合う、火山、湖、温泉など多くの観光地。
・豪雪、台風、高温高湿度の亜熱帯。
一色でない日本の文化 一色にしない
・渡来人の進入路は、北、西、南から入ってくる
・北海道、本州、沖縄で大別され、本州はフォッサマグナ、西南日本は中央構造線で分けられる。
・東日本は落葉広葉樹林帯、西日本は照葉樹林帯
(稲作をしない東国や東北は遅れていると京・大阪側からの説)
・政治・経済は、奈良・京都・大阪、鎌倉・江戸に分かれ、二大並列のまま
・新しい視点:東京志向でなく、九州はアジアの入り口であるからアジアとの連携など。
追加
・アイスランド
人口33万人と、川越市よりやや少ないくらいなのに、ノーベル賞受賞者が二人出ている。
ハンドボールもオリンピックで銀メダル。
プレートがぶつかる海溝や海嶺が、陸上で、世界最大規模で見られる。
できたばかりの国土で、土がない。
男女平等指数は世界第1位。(日本は114位)
子供は国が責任を持つ。
など諸外国の写真を交えながら、たいへん興味深いお話しをしてくださいました。
その後お茶やお菓子をいただきながらの質疑応答でも、
先生の博識さとお人柄がわかる、たいへん貴重な時間を持つことができました。
日本について、意識改革と言えるほど見識が広まりました。
溝尾先生、有意義なお話を本当にありがとうございました。
お集まりいただいた皆様、暑い中お越しいただきありがとうございました。
当日のアルバム→ こちら
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アルバムは→ こちら
パスワードがお分かりにならない方は メール でお問い合わせください。
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5月19日(土)13時より、雨が心配されましたが、多くの晴れ女の皆様方のおかげで、青空がのぞくよい総会日和りとなり、56名のご参加による「第21回埼玉支部の集い」が開催されました。
副支部長の司会のもと校歌斉唱にはじまり、荒木支部長の挨拶に続き第3号までの議案の承認をえました。
収支報告では20周年に関する記載の内容についてとVERA募金についてご質問がありましたが、それぞれ担当者、支部長、島津同窓会財務委員長から説明がありご理解くださいました。
最後に次年度役員改選にあたり人材を求める動きを運営委員会に期待するとのご意見をいただきました。
講演会の熱気が残る中、茶話会が始まりました。今回座席はくじ引きでしたので、同じテーブルで初対面のかたもいらしたのではと思われましたが、どのテーブルでも大いに会話が弾み、さすが同窓生と感心したり、感動したり、役員としてはうれしい限りでした。
また今年は2013年卒というお若い方の参加もあり、若い方の考えや悩みをうかがえたのもある意味参考になりました。
高齢者の視点ばかりでは狭くなるばかりなので、いい機会を持たせていただいたと思います。
今回の集会の成果を明日につなげていこうと思った意義ある一日でした。
第2部 講演会
『100周年を迎える女子大の今と女性の活躍』
東京女子大学 国際英語学科准教授 安部 由紀子先生
*プロフィール*
東京女子大学英米文学科卒業。
早稲田大学アジア太平洋研究科(国際関係)修了。
読売新聞 社会部記者、国連開発計画(UNDP)駐日代表事務所広報官を経て、2018年4月より現職。
専門はジャーナリズム、国際広報、翻訳。
女子大在学中にバングラデシュで教育支援をするNGO『アジアキリスト教教育基金(ACEF)』のスタディツアーに参加したことがきっかけで、国際協力に関心を持つ。新聞記者としてもバングラディシュを再訪。現在、同NGO評議員も務める。
「目を閉じて、思い出してください。東京女子大学に入学した日のこと、初めて東女に足を踏み入れた時のこと、初めてお友達ができた日のこと・・・」と始まり、静まり返った会場。
一瞬ですっかり引き込まれ、1時間半の講演はあっという間に感じました。
しっかりとした芯を持ちながらも、軽やかにキャリアをシフトチェンジしていく安部先生のお話に、世代の違う同窓生が一様に感銘を受けました。
〜講演ダイジェスト〜
?女子大時代
大分県の周囲を田んぼで囲まれたような公立学校でのんびりと育ち、尊敬する叔母の母校・東京女子大学で勉強してみたいと中学生の頃から考えていた。
入学時には、おっとりとした性格の自分が新聞記者になるとは想像もしていなかった。
大学3年生で、バングラデシュに学校をつくる活動をしていた『アジアキリスト教教育基金(ACEF)』というNGO主催のスタディツアーに参加したことで一変する。
靴が買えない、学校に行けない等、自分にとって当たり前の環境が当たり前でない現地の貧困を目の当たりにし、自分にも何かできないかという思いから、この時の体験を寄稿したところ、地元の大分合同新聞に掲載された。
その記事を読んだ特別なお金持ちという訳でもない、小学校で校務員をする方が「バングラデシュに行ったことはないが、戦後の貧しい時期を経験したから貧困の辛さはよくわかる。社会の役に立てるなら」と、毎年100万円を寄付してくれることになった。(退職までに計1000万円の寄付となる)
この経験から、新聞が社会に与える影響を実感し、国際協力も可能な新聞記者という職業を目指すことになった。
?新聞記者時代
英語力や元気の良さという個性で、若手ながらも日韓ワールドカップや愛知万博、沖縄の米軍基地、国際会議などの取材に参加し、世界の広さを実感した。
そして“良い仕事をすれば、次にまた良い仕事が与えられる”ことを学んだ。
当時は女性新入社員が1割、各支局にも女性記者は1人という状況で、女性としてどう働いていくか迷うこともあった。
しかし、誠実に日々の仕事をし、途上国の取材をしたいという思いを持ち続け、声をあげ続けていたら、機会を与えられてバングラデシュを再訪できるなどキャリア面ではとても恵まれていた。
記者として政治家や著名人に会う機会が多い一方、地域のために頑張っている市井の人や、(日々の生活に追われ、かつ日本語ができず声をあげずらい状況にあった)中国残留孤児の方のように社会に見えにくい人々と出会う機会も多かった。
取材されたがっている人よりも、自分は大したことをしていないと言う人の方が素晴らしいことをしていることも多かった。
立派そうなことを発言することと、実際に立派な行動をすることは同一ではないということもわかってきた。
この頃から、肩書で人は判断できないと思いだした。
?早稲田大学大学院アジア太平洋研究科時代
30代になって国際協力への思いから読売新聞社を退職し、メディアの仕事をしながら早稲田大学大学院に進学して「難民の第三国定住」をテーマに研究。
自国を逃れて新しい国に来た人たちを、どのように社会で受け入れ共生していくか(=社会統合)について、難民受け入れが進んでいるオーストラリアやカナダでのフィールド調査、インタビューも行い、日本との比較研究をし、研究論文を執筆した。
日本は長い間“難民鎖国”であったが、2010年よりタイの難民キャンプにいるミャンマー難民(=第三国定住難民)を毎年30人受け入れ始めた。
国連職員になってからタイの(難民の滞在が)長期化する難民キャンプを訪れる機会があり、普通の村と変わらない姿に驚いた。
しかし、彼らにはキャンプの外を歩く自由はないし、明日の身の安全は保障されていないし、選挙権があるわけでもない。難民には紛争や政治活動を理由に自国を離れる政治難民、気候変動や天災などで地域にいられなくなる強制移民(“環境難民”)など様々で、私達日本人も難民になる可能性を持っている。
そして、実際にここ日本でも、私たちの身近にも難民の方が多く生活していることを是非知ってもらいたい。
?国連開発計画(UNDP)時代
国際協力のキャリア構築を考えていたところ、大学院修了間近にUNDP駐日代表事務所で広報のポジションの募集があり、応募して採用される。
UNDPは世界177か国で活動をし、紛争予防、気候変動、災害復興、選挙支援、ジェンダー平等の推進など幅広く活動をするいわば「総合商社」のような国連機関である。
駐日代表事務所での広報業務の1つは、税金で資金提供をしてくれている日本政府や日本国民に対し、国連がどのように資金を活用しているか、どのような支援を必要としているかなどを説明したり、資金が必要な折の資金調達をすることだった。業務を通じて、昔から憧れていた元国連難民高等弁護官の緒方貞子さんと一緒に仕事をさせていただく機会や、世界で最も影響力のある女性100人に選ばれたヘレン・クラークさん(元UNDP総裁、元ニュージーランド首相)、日本人女性の国連職員の中で最高位にある中満泉さん(元UNDP局長、現・国連事務次長)などの仕事を身近で支える中で、女性のリーダーシップを学んだ。
国連や国際社会では多くの女性が幹部として活躍しており、日本でも、女性が政治のトップや企業の幹部に当たり前のようにいる社会になってほしいという思いを強くした。
国連という巨大で、様々な価値観、文化が混在する組織で働くと大変なこともあるが、逆に楽しいことも多い。
コミュニケーションの取り方を工夫しながら、世界中にいる職員と一緒に力を合わせて働いてきた。
また、在職時はインターンとして数カ月間、国連事務所に来る大学生、大学院生の日々の業務管理、教育を通して、人の成長を目の当たりにした。必要なことをきちんと教え、経験を積む機会を与えられれば、どんどん磨かれて成長していく若者の姿に感銘を受けていた矢先、東京女子大100周年に合わせて新設される国際英語学科で教えないかと打診を受けた。
?East West Center時代
人に教える経験のなかった私は、東京女子大での勤務開始より少し早めに国連を退職し、シフトチェンジを兼ねてアメリカ・ハワイにある米国政府系シンクタンクEast West Centerでフェローとして、9か月のプロフェッショナル・トレーニングを受けた。
アジア太平洋地域の15か国から選抜された23人と一緒に地域のリーダーとして何ができるかを実務的に学ぶコースである。
研修の中で、ハワイや米国本土の州立大学で学生を前に英語で講義やワークショップを企画・運営をする機会も得て、自信もついた。
何よりハワイの素晴らしい自然環境が、時間を精一杯使うことにばかり目を向けていた私に、美しい景色を見たり、ピクニックに行ったりとリラックスをして生活を楽しむことの大切さを教えてくれた。
?女子大の教師に着任して
最初の講義では『If you want to go fast, go alone. If you want to go far, go together.』というアフリカの諺を学生に伝えている。
クラスで学ぶからには、多様な価値観に触れたり、チームの大切さを知ってもらいたい。
そしてチームが力を発揮するには一人ひとりの心理的安全性(Psychological Safety)が必要なので、誰もが意見を自由に言える空間を作れるよう、発表を聞いたときにはみんなで拍手をして称える、控えめな学生には相手が話しやすいように考慮して声をかける、各自の強みを持ちよるなどを推奨している。
昔も今も、東京女子大は勤勉で真面目な学生が多いように感じる。
各指導教科の中で、学問以外に、他人や自分の価値観を大切にすること、人に真摯に向かう姿勢や相手の話に耳を傾ける力(?リスニング能力?)、リーダーシップなどを伸ばして、人間としての魅力を高めるような教育をしていければと考えている。
質疑応答から抜粋
Q:先生が女子大で教えている内容を教えてほしい。
A:実践的な英語の使い方を教える『Professional English』 というクラスや、異文化理解、グローバル人材論、ジェンダーや女性のキャリア構築など。Professional English は選択科目だが、学科の約3分の2が受講する100人規模のクラスで、英字新聞や国連の文書の読み方、メディアリテラシー、国際広報などを教えている。
Q:働いて6年目だが、体力の面や周囲の目から男女同等に仕事をするのが難しいことを感じ始めている。
グローバルジェンダーギャップの低い北欧の国々はどうしているのか?
A::北欧も以前は、昔は日本と似たような状況だったが、制度を変革し、法律やインフラ整備をしていった結果、多様な働き方、休暇の取り方などができるようになった。日本もゆっくりとではあるが変わってきているので、まずは“声”を上げていくことが大事だと思う。
レポーターから一言
安部先生のお話は、国際協力を中心に広い世界でキャリアを重ねてきただけに、とても面白く勉強になる事柄が多かったのですが、残念ながら紙面の都合上割愛せざるを得ませんでした。今回は、先生のキャリアを中心にまとめさせていただきました。
(文責:H.K.)
当日のアルバムは→ こちら
パスワードがお分かりにならない方は メール でお問い合わせください。
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昔と今を織り交ぜた案内人の説明は興味深く、楽しく、
途中小雨が振り出したのもかえって暑さしのぎになりました
私達の住む埼玉県東部地区の思わぬ発見となりました。
案内人にご紹介いただいた美味しいお煎餅も買えました。
飯田橋駅集合後、猫が通るような細道を抜けたり、
和小物のお店を覗いたりお散歩をしながら懐石料理の葉歩花庭へ。
今回は3月まで女子大で教えていらした大角翠先生(70年卒)もご参加くださり、専門の言語学から海外での研究生活など貴重で楽しいお話を聞かせていただきました。
ランチ後も赤城神社をお参りし、フランス菓子のお店でコーヒーブレイク。
新緑の神楽坂を満喫いたしました。
所沢地区ミニ支部会代表 田中
ミニ支部会代表の方たち、サークル代表、役員、監事、広報の23名が出席して以下の議題について話し合いました。
■20周年秋のイベントについて お食事会を開催し、同窓生でプロとして活動中の方にパフォーマンスを依頼することになりました。
■会費会員数増やすための取り組み 各ミニ支部会より実践の報告とアドバイスをお話していただきました。
会計より支部会費の払込時にいただくメッセージをミニ支部会と連携して活用する提案がありました。
■支部だより、20周年資料集の感想 たいへん好評でした
■ミニ支部会・サークルからのおしらせ メルマガでお知らせします。
■他 春の嵐が吹き荒れる中、運営委員のみなさまご出席くださり貴重なご意見をありがとうございました。
役員一同
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時節柄体調を崩し当日キャンセルは出ましたが、11名の参加のもと、
貸切同然のレストランの中で3時間近く存分におしゃべりに花を咲かせました。
ランチも美味しいと好評でした。
また今年は景品の当たるクイズも取り入れ、
楽しい雰囲気のなか閉会が惜しまれました。
越谷ミニ支部会代表 長岡
]]>2014年6月以来3年半ぶりの見学です。 当日は、ご家族がこの施設を利用されているOさんの車他2台で、役員有志10名が参加しました。最初に山本理事長より施設の沿革と概要について説明をいただきました。
(写真:近藤施設長と山本理事長)
無認可時代を合わせるともう既に30年を超える歴史があるとのこと。
近年は利用者の親御さんたちの高齢化が進んだり、またボランティアの人数が不足しているなど、向き合う課題はつきません。 他の施設に比べてみると利用者に対する職員・ボランティアの人数比率は良好のようですが、ひとりひとりのプログラムに合わせての活動を考慮するともっと人数が必要とのことです。
その後、同法人が運営しているデイセンターを5カ所見学させていただきましたが、ちょうど昼食タイムのため美味しそうな匂いが漂っていました。 私達が部屋に伺うと、利用者の皆さんが手をつないで挨拶されたり、自己紹介やおしゃべりをして下さったりと歓迎してくれました。 部屋の壁には利用者の皆さんの書初めの展示や職員が作成したクリスマスカードなどが飾られており、可愛らしいお手製デザインの陶芸作品・オリジナル石鹸・お茶などの販売コーナーもありました。
山本施設長のご説明にあった「支援する人、される人の場に分けての活動はしたくはない。地域で支えていきたい。」というポリシーにたいへん感銘を受けました。
これからの活動も積極的に広げて、利用者のペースに合わせて華道やバスケットボールなどの新しい行事の取り組みも検討しているとのことです。
子どもから大人まで、様々な障がいを持つ利用者の皆さんが充実した日々を過ごしている様子を拝見し、その日々の活動を支えている職員・ボランティアの方々には頭が下がる思いです。
今回の見学を通して私たちも自分の周りの人々に対して何ができるのかを考える良い機会になりました。
冬の晴れ間にキリっと気持ちがひきしまる一日でした。
文責・池尻
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【第一部 交流会】
昨年までの「運営委員会」から名称と内容を改めて 「交流会」となった初めての集まりでした。
役員会から支部運営のご報告をさせていただくとともに、 会員の皆様のお声も聞かせていただきたい さらに、同じ県内に住む同窓生どうしの 親睦を深めたいと願って、広く参加をよびかけました。
41名の方が出席してくださいました。
◆寄付
「観劇の会」と「手芸の会」より埼玉支部に寄付を頂きました。
「社会福祉法人さくら草」に埼玉支部より寄付を差し上げました。
◆役員会より
・女子大「VERA募金」への寄附で銘板に埼玉支部の名前が記載されます
・次回発行の支部だよりに同封する20周年記念冊子、アンケートの説明
・高齢者50名へのXmasカードの休止 以上のことをみなさまに報告しご承認いただきました。
◆お知らせなど
各ミニ支部会代表、サークル代表による活動報告と今後の予定の発表、 初参加とお久しぶりな皆様のお話など和気あいあいのトークで盛り上がりました。
【第二部 バザー】
みなさま、丹精こめた手作り品、毎年恒例の梅製品、柚子やお米などの農産品や宝探しのような持ち寄り品などのお買い物を楽しみ、「お茶を楽しむ会」の呈茶でホッとなさっていらっしゃいました。
開始時間が開場すぐで慌ただしかった、プライスのつけ方の相談にのれればよかったなどの反省点もでましたが、みなさまのご協力のおかげで無事終了することができました。
ありがとうございました。
S.K
]]>T.Y
]]>参加者は8名でした。
今年はクリスマスパーティーも兼ね昼食とお茶を楽しみ、
造花ばかりでなく果肉植物やエアプランツを使って、生花も使って楽しみました。
少し早めの楽しく華やかなクリスマスパーティーとなりました。
一部を埼玉支部のバザーに提出いたします。
題して「けっこう身近な多文化交流」。
話し手は、石川靖子さん(94文史)と小室桃子さん(80文英)のお二人。
場所は北浦和駅から3分、クイーンズ伊勢丹3階。参加者は32名。
会は、米田景子さん(65短英)の軽快な進行でスタートしました。
まず、代表の小河徹子さん(71文心)から、プチさいたまは10年目を迎え、会員1600人、会費会員222人の大所帯であること、今回はチラシやメール、支部サイトなどでお誘いするほか、話し手に合わせて94年度卒業に近い50人にはハガキでお誘いしたなどのお話がありました。
■石川靖子さんのお話―中国蘇州のくらし
♪お仕事で蘇州に赴任されたご主人と共に、小学生の娘さんと3人の蘇州暮らし。
体験やエピソードをまじえたお話は、プリントされた15枚の写真と合わせて、実情がよく伝わりました。
♪黒板に書かれた10項目のお話はどれも興味深いものでした。
例えば?の「日本人ひとり」。
娘さんがバレー教室にはいってみたら、日本人はひとり、なんと教室始まって以来初めての日本人だったそうで、みんなに珍しがられ、頭の先から足のさきまでじろじろ観察されたり、質問されたり。
そんな好奇心いっぱいの中国人と暮らした娘さんは、中国を大好きになって今も中国語を学んでいるという、嬉しいお話でした。
? 子育てを海外で ? 日本人学校というところ ? 日本人ひとり ? 好奇心いっぱい ? 太太(奥さまたち)は何をする? ? 自由ではない部分 ? 交通事故にあう ? 立ち退き命令 ? 高速鉄道(新幹線)の走り方 ? 日本に帰る日
♪滞在中には尖閣諸島問題で反日デモもあったが、ご自身は「怖い、いやな思いは一度もなかった」。
人々は温かく、歓迎してくれた。
仲良くなったドライバーさんは、帰国する日「日本に帰らないで」と涙を流して別れを惜しんだそうです。
♪蘇州は、上海から高速鉄道で30分、そして石川さんご一家が住まれた「園区」というところは、シンガポールが開発した地区だそうで、水と緑の多い街。街中に運河が作られていてなかなかいいところらしい。締めのことばは、「ぜひ蘇州にいらしてください、とてもいいところです」でした。
♪お話の後にサプライズが!なんと「蘇州夜曲」を日本語と流ちょうな中国語で独唱、最後には会場のみんなで歌う、という思いがけない趣向がありました。
♪蘇州ではインターネットに規制があるなど不自由なこともあったそうですが、それをも楽しんでしまうような包容力いっぱいの石川さん、とても魅力的で蘇州への愛にあふれたお話でした。
私も行ってみたくなりました。
■小室桃子さんのお話―どこでも多文化交流
小室さんはまさに多文化交流を生きているという方でした。
何しろ生まれる前から家にお祖父さまの皮のトランクがあり、それは世界各国を旅したトランク。中には世界地図が入っていて、訪ねた場所には赤いしるしが。幼い桃子さんは、その地図を興味深く眺めたとのこと。
〜〜〜
女子大時代。初めての海外訪問。
それは社会学部のスタディツアーで、行く先はネパール、英文科の小室さんがなぜかこのツアーに参加。
サークル活動として日本国際学生協会に所属し、国際学生会議(ISC)に参加する。
会議の前後には、世界各地から毎年夏にやってきた学生たちのガイドもつとめ、カルチャーショックを受けながら、いろいろな文化に触れる。
〜〜〜
卒業して本太中学校の教員をしていた時には、NNS国際スクール講師も引き受けて、アメリカ、カナダの現地の家庭に滞在した。初めてのアメリカ行きでツアーコンダクターを勤める。
高等学校の教員になってからは、国際理教育委員会に属し、留学生の話題などを中心とした通信を発行した。
保護者にも協力してもらって、外国語や簡単な日本語を話すボランティアをしてもらった。
〜〜〜
北浦和にある国際交流基金日本語国際センターには世界各国から日本語の教師がやってきて研修している。
ここが閉鎖的で、外の日本人と触れ合う機会がない。
ふれあうプログラムを提案、アフガニスタン、インド、ロシアなどいろいろな国からの一人一人と付き合うことはとても面白い。ホームステイも受け入れて、イギリスやドイツからの研修生を世話した。
お国柄でそれぞれ要求も違っていて面白い。
知り合った友人をブルガリアやフィンランド、ニュージーランドなどに訪ねた。
現在は、北浦和に本部がある「アジアを紡ぐ会(ASA)」のメンバーとして、スリランカ、インドマニプール、インドネシアバリ島などの女性たちの自立を支援する活動に参加している。
単に作ったものを日本で販売するという経済援助ではなく、彼女たちが自分で計画、交渉、事業をすすめるための自立支援をするというのが会の趣旨。
〜〜〜
小室さんの何でも面白がって、蝶々のように軽やかにな行動する様子が伝わるお話でした。
多文化交流の場は身近にいくらでもありますよ、とそのいくつかを教えてくれました。
さいたま観光国際協会国際交流センター(コムナーレ9階)などに資料がたくさんある。
浦和区針ガ谷にはシリア難民が経営参加しているカフェ(名前はドバイカフェ)がある。
◇◇◇
お二人のお話に、支部メンバーは「宝の山」との思いを新たにしました。
皆様からも「とても面白かった。時間が足りなかった。」
「一人ずつにゆっくりお話ししてもらえばよかった」
「いろいろ質問もしたかった」などの感想が寄せられました。
今回の企画は大成功、準備された幹事の皆様、
お話してくださったお二人の方、ありがとうございました。
当日のアルバムはこちら→ 「けっこう身近な異文化交流」
H.O
]]>小雨が降ったり止んだりのあいにくのお天気でしたが、他のミニ支部会からもご参加いただき16名での訪問となりました。
当日は高麗神社の権禰宜さんが境内を案内してくださり、高句麗の王族につながる歴史的由来や、参拝後多くの政治家が総理大臣になったことから出世開運の神社と言われるようになったこと、先日の天皇皇后両陛下の御参拝の裏話など色々な興味深いお話が聞けました。
また、通常は中に入れない高麗家住宅にも入れていただき先人の暮らしに思いを馳せました。
その後、高麗王若光の菩提寺聖天院を訪れた後、高麗川駅近くの「あさひ」で日高市の名物「高麗鍋」をいただきながら歓談し、交流を深めることができました。
(川越ミニ支部会 松下)
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*光恩寺(無料)
群馬側の赤岩の船着場から土手を上り10分ほど歩くと、光恩寺で
光恩寺には、荻野吟子の像と、彼女の生家から移築した立派な長屋
皆様が、高い土手の上り下りを苦にせず、楽しく歩かれていたのが
*レストラン・オリーブ
ランチは、前菜、サラダ、フォカッチャ、ピザ、パスタ、デザート盛
この日は、お店の定休日でしたが、特別に貸切りで対応してくれま
オリーブから聖天山に向かう途中、旧坂田医院や井田友平ポマード
*妻沼聖天山
『阿うんの会』のガイドで拝観しました。
1179年斎藤実盛が創建(平安末期、鎌倉時代前)。1670年
以来44年間かけて再建されるのですが、日光東照宮の修復に参加
・拝殿の彫刻
「琴棋書画」(きんきしょが:琴や囲碁や書や絵を楽しむ姿)
この囲碁の彫刻に因み、本坊書院で、囲碁界で最も伝統あるタイト
「鯉から竜へ」(出世する姿の籠彫り彫刻)、「唐子の遊ぶ姿」「
これらの色鮮やかで生き生きとした彫刻をみると、当時の腕のある
・貴惣門
設計から100年かけて、1851年完成したそうです。
屋根が上下二重(上は1つ、下は2つ)の切妻屋根の特殊な形をし
門を守る持国天・多聞天のお顔も親しみ深いものでした。
アニメのヒーローっぽいとの感想もありました。
*片倉シルク記念館(入館無料)
最後に、片倉工業の製糸工場跡、2つの大きな繭倉庫を残してつく
寄棟造り倉庫には操業時使われていた製糸機械が、蜂の巣倉庫には
そして、倉庫の周りには、色々な種類の桑が植えられていました。
経産省の近代産業遺産に認定されています。
片倉工業は、女工さんの教育に熱心な企業であったこと、富岡製糸
目先の利益だけにとらわれない企業が、ここにあることに思いを馳
実は当初予定されていた「道の駅妻沼」は、急な休館日で寄れなか
ほぼ予定通りの16時頃に熊谷駅に到着し、ここで解散となりまし
北斗交通のバスや、レストラン・オリーブのご協力もありがたかっ
そしてなによりも、各地からご参加くださった皆様のご協力に感謝
また次の機会にも、皆さまとご一緒できますように!
Y.K.
「鉄板焼ダイニング綺羅里」にて広島焼を中心にしたメニューを頂きました。
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9月30日(土)、志木地区ミニ支部会恒例の秋のイベントとして、池袋メトロポリタンのプラネタリウムを見学しました。
8名の参加者の殆どが何年振りかのプラネタリウムです。昔より随分と娯楽性が増しているのが印象的でした。
「僕らが空を見上げる理由(わけ)」というプログラムで、ナオト・インティライミ(シンガーソングライター)の音楽とナレーションをバックにした迫力のある天体ショーを楽しみました。
その後、プリンスホテル内の和食店で、お食事をしながら、
全く予想していなかった坂井様と富岡様の急逝を悼み「お二人を偲ぶ会」をいたしました。
坂井艶子さんがこの8月30日に、冨岡美耶子さんが9月21日に他界されました。
お二人とも埼玉支部でのご活躍はもちろんですが、志木地区ミニ支部会の創設とその後の発展に尽力され、会のイベントには毎回必ず参加されてきました。
私たちの会にとってなくてはならない方々を失って残念でなりません。
昨年9月に行った葡萄狩りイベントの際のお二人揃った写真を回覧しながら、お二人を偲び、思い出などを語り合いました。
心からご冥福をお祈りいたします。 (m.s.)
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透き通る有田焼の美しさの陰に連行された朝鮮の人たちの慟哭を聞く思いがした、そんな素晴らしい研究発表と展示、そして何より小澤さんの分かりやすい解説でした。
その後は和韓折衷の素敵なインテリアの「とんちゃん+」で韓国料理に舌鼓、
イケメン通りのカフェで韓国かき氷に猛暑を吹き飛ばし、市場をぶらぶら、
思い出深い夏の一日となりました。
報告:長岡
企画展「有田焼400年 望郷と同化のはざまで〜朝鮮被虜人の生活と文化」
新大久保の高麗博物館で8/27(日)まで開催
http://www.40net.jp/~kourai/
総勢32人。
大宮駅から三の鳥居までタクシーを利用し、11時から正式参拝。
その後、宮司さんから境内をを案内していただきました。
いままでは、外から参拝するだけでしたが、拝殿に入り参拝いたしました。
氷川神社は2400年以上前に建てられた、武蔵一宮の由緒ある神社だそうです。
門の内側に5本の大きな楠が生えていて、樹齢は100年以上といわれました。
みんなパワーをもらうために、触るところは、色が変わっています。
日頃、あまり行くことのない、「蛇の池」を案内してもらいました。
蛇の池は、本殿の西側に位置し、見沼に流れていた湧水だそうです。
その後、社務所でビデオ「氷川神社の四季」を見た後、「清水園」に参道を歩いて移動。
松の飾り付きの「盆栽弁当」を皆で食べました。
いつもの顔なじみの方々に加え、今回は、お若いお二人の新メンバーが参加してくれました。
94年卒業のIさんは、2年前に大宮に越してこられ、地域を知りたくて参加されたそうです。
もうひと方、90年卒のSさんは、春日部からの参加でしたが、JICAにお勤めで、アフリカにちょくちょく行かれるようです。
とっても、嬉しかったです。川越地区や、越谷地区、熊谷地区からも参加していただきました。
14:30にバスが駅まで行ってくれるというので、もっといろいろのお話を聞きたかったのですが、半分の方々のお話で時間切れとなってしまいました。
残念でしたが、次回またとお約束して解散となりました。
(記録 T.O)
※アルバムは完成後リンクいたします。
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初参加の方がお一人見え計11名。
その後、近くの園芸店でお花観賞とショッピングをして
越谷レイクタウンへ。フードコートで気ままにおしゃべり。
楽しい一日となりました。
越谷ミニ支部会代表 長岡
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アルバムは→ こちら ※もう少しお待ちください
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午後からは場所を講堂に移して、いよいよ能・狂言の鑑賞です。
初めに光延先生による演目の解説がありました。
まず狂言。演目は「棒縛(ぼうしばり)」
主の留守に、いつもお酒を盗み飲みする太郎冠者、次郎冠者の2人が棒に縛られながらも互いに協力してお酒を飲みあうというお話。
軽妙なしぐさと、マイクなしで講堂に響く朗々とした声。
演者3名とも素晴らしかったのですが、萬斎さんはやっぱり華があったと私は感じました。
25分の演目でしたが、初心者にも十分狂言の面白さが伝わりました。
休憩なしで、次は銕仙会の能の「葵上(あおいのうえ)」
光源氏の正妻の葵上が愛人の六条御息所の生霊に悩まされているので、祈禱により鎮めようとするお話。
初めに薄水色の豪華な着物が舞台前方に置かれました。
光延先生の解説で、これは葵上が病に臥せっている様を表しているとわかりました。
能は、歌舞伎と同じように舞台で演じることができるのは男性だけのため、女性役の六条御息所や巫女役は男性が能面を付けて女性に扮しています。
能面は女性のものが多いのはこのためと納得しました(般若も女性とのこと)。
狂言は演者3名だけの舞台でしたが、こちらは演者のほかに、笛・小鼓・大鼓・太鼓の奏者や地謡の人、総勢10名が揃い、時に静かに、時に激しく、打ちならしたり、謡ったり舞台を盛り上げます。
埼玉支部創立20年を記念して、母校で日本伝統芸能に触れる機会がもてたことは、貴重な経験になりました。
(記録:井関)
アルバムは→ こちら
今回の「春の運営委員会」は各地区ミニ支部会、サークル、交流奉仕部、編集委員会、ホームページ委員会の代表と役員、計31名の参加を得て開催されました。
支部長挨拶に続いて、荒木さんより小冊子「齊藤百合 粟津キヨ 失明女子を考える会 そして今」(交流奉仕部発行)の紹介がありました。 A4判からA5判へと小型になり、手に取りやすく読みやすくなっています。
会員だけで無く、女子大の新入生にも配布したいとのことでした。
○次期の新役員候補者の紹介のあと、次期の監事役不在で募集をしました。
会計監査の仕事なので毎月ではなく1年に数回の会合です。
引き続き監事を募集します。
○交流奉仕部の米田さんから状況変化により役目を果たし、活動停止するとの報告がありました。
今年度の園遊会の福祉の店の出店はお手伝いしますとのことです。
○秋の埼玉探訪候補地「妻沼聖天とその近辺(熊谷市)」について、辺見さんから説明がなされました。
○支部創立20年の企画として
・積立金を「埼玉支部だより・春号」にアンケートを同封してその返信用郵送料にあてる
・Webサイトに直近の4年間、支部長を務めたおふたりのお話を掲載する
・大袈裟な記念誌は不要だが、次代に引き継いでいく記録を何らかの形で残す などの意見が出されました。
○前回より引き続き議題とされた「『ミニ支部会』名称変更」は、
埼玉県内に支部が複数あるようで混乱を招く、
正式に届ける時に長すぎるという意見もありましたが、
定着しており変更の必要性を感じない、
「ミニ支部会」の名称を続けて使用したいという意見が大勢を占めました。
なお「ミニ支部会」のまとめ役は「代表」であるとの支部長から確認がありました。
○「被災学生支援寄付」が3月末をもって募集を終了したため、
皆さまから総会時に寄せられた寄付金7000円は
大学維持協力会に入金する旨の報告がなされました。
○さいたま市地区ミニ支部会から6月5日の「大宮紹介第3弾 大宮氷川神社見学」、
観劇の会から7月公演「NINAGAWA・マクベス」チケット斡旋の案内がありました。
1 6時に散会。
活発に意見交換がなされ、同窓会埼玉支部に対する熱意が感じられる会となり、 役員一同よりご参加の皆様に御礼を申し上げます。
]]>初参加の方3名を交え計14名でにぎやかに歓談しました。
尽きないおしゃべりの後、希望者で越谷梅林公園を梅の香りに包まれながら散策し
香取神社で江戸から平成にかけての500体に及ぶ雛人形を見学しました。
お天気にも恵まれ華やかな春の一日となりました。
]]>インフルエンザ等でご欠席になってしまった方も数人いらっしゃいましたが、
10名が集まりました。
見た目も華やかなお料理を楽しみつつ、楽しいひとときでした。
今年の抱負、また愛校心溢れる東京女子大論が活発に飛び交いました。
恒例の、福引きおみくじでは、「笑吉」「宝吉」「旅吉」
はたまた、「支部吉」(支部活動をすると、良いことがあるでしょう)など、
おめでたい「吉」満載!
昨年の埼玉支部バザーで購入した「手芸の会」の品などをみなさまにプレゼント。
今年も良いスタートをきることができました。
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また、来年の新年会へ越谷ミニ支部の会費納入会員全員に御案内往復はがきを送ろうということで、不用品交換会も行い資金獲得に努めました。
モミの木と不用品は14日(水)の支部のバザーにも出品し、皆様のご協力を得ました。
有り難うございます
。
立ち上げて3年、来年はますます会員の参加が増えるよう頑張ります。
]]>
準備は10時から始まります。雨の中、第1陣のスタッフ数名が集まります。
まず看板の掲示、会場設営など。ピアノ、椅子の配置には、毎年とても神経を使います。
pocoさん作のレイアウト図(演奏者、幹事、会場オーナーなどが半年ほど前から検討したもの)に従って、スタッフ全員で手際よく配置します。
リュートの音色を考慮して、今回演奏者の位置と聴衆の位置を大きく変えました。
ピアノの移動にはスタッフのご主人にもお手伝いをお願いしました。
30分ほどすると、演奏家3人が到着してリハーサルを始めます。
スタッフでスタジオオーナーのA.Aさんが照明、音響などを調整します。
同じころ、遠方からの第2陣スタッフも合流して、それぞれ担当の準備にとりかかります。
ティータイムのケーキ調達、カード販売の準備、お茶の準備、受付の準備、高齢会員の出迎えなどなど。
この間1時間半ほどの間に各自お昼を済ませて準備完了。
やがて手芸の会の一団も到着。手作り作品の販売準備を始めます。
福祉団体に届ける収益、今年はどのくらいになったでしょうか。
そうこうしているうちに、参加者がぼつぼつ集まり始めます。
受付では参加者の名前をプリントした小さいカードを渡します。
帰りには間違いなく自分の靴で帰ってもらうために靴に入れてもらうのです。
■演奏開始
午後1時30分、いよいよコンサートが始まります。
進行役はプチさいたま代表のpocoさん。
演奏者は、リュート演奏家の 櫻田 亨 ( とおる ) 氏を中心に、専門は声楽ながらリュートも演奏なさる山崎綾子さん、それと埼玉支部会員ながらリコーダーとリュートの演奏をなさる小坂和子さん。
pocoさんから3人のプロフィールが紹介されました。
♪櫻田さん
日本ギター専門学校・オランダハーグにある王立音楽院卒業。
リュートを佐藤豊彦氏に師事。
リュートソロだけでなく歌や笛などとの小編成のアンサンブルにも定評がある。
佐藤氏とともにリュート&アーリーギターソサエティ・ジャパンを設立、愛好家の育成にも力を入れている。
音楽以外では、西洋美術や茶道にも造詣が深い。
♪山崎綾子さん
東京音楽大学音楽学部声楽専攻卒業。声楽を学ぶ傍らリュートを櫻田亨氏に師事。ソロ活動、合唱指導、ボイストレーナーとして活躍中。
♪小阪和子さん
リコーダーに合わせてリュートを櫻田亨氏に師事。東女大日文科卒。
プログラムは、ルネッサンス時代の優しい伸びやかな曲が、ソロ、合奏、また独唱を交えるなどヴァラエティ豊かな構成で演奏されました。
前半は、イギリスの音楽が10曲ほど 、とくに作者不詳の名曲グリーンスリーブスは、3台のリュート、 歌とリュート、リコーダーとリュートなど、さまざまなアンサンブルで5曲、何回か聞いたことのある曲だけにとても楽しめました。後半はフランスの音楽とイタリアの音楽で、いずれも櫻田氏のリュートを中心にした聞きごたえのある演奏でした。
合間に櫻田氏のトークで楽器の説明や曲の紹介がなされ、これがまたとても楽しく、会場が中世の貴族の館のように優雅な雰囲気に包まれました。初めて聞くリュートの音色に一同うっとりして、とてもいい時間が流れました。
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櫻田さんのお話から…
リュートは、中近東で生まれヨーロッパ、中国を経て、日本に伝わって「琵琶」となった。
16〜17世紀、ヨーロッパ中で非常に人気のあった楽器で、リュートを弾けることが貴族としてのステータスだった。
エリザベス女王1世もお好きで、中でもガリアルドというダンス曲が大好きだったそうです。
理由は、寒いのでリズミカルなダンスで温まる、もう一つは素敵な男性と踊る愉しみ。
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最後はクリスマスメドレー!リュートの伴奏で「♪荒野の果て」「♪諸人こぞりて」「♪牧人羊を」「♪ひいらぎ飾ろう」を会場全員で歌いました。
大きな声でいいですね、と櫻田さんに褒められて(呆れられて?)、後半はさらに元気な声で歌って、一足早くクリスマス気分を味わいました。
3人の美女から花束が贈呈され、アンコール曲の演奏。
またもグリーンスリーブスの曲に日本語の歌詞、これを山崎さんの美しい声で聴かせていただきました。今回はいろいろなグリーンスリーブスを堪能できて大満足でした。
■ティータイム
椅子の配置を変えてお茶とお菓子をいただいた後、K.Aさんの温かい進行で歓談が続きました。
▼今日は静かな曲を聞かせていただいたが、リズミカルな元気のいい曲はリュートではやらないのですか?
(A:バロック音楽には早いテンポのものもあります)
▼どういうきっかけでこの古い楽器に取り組まれるようになったのですか。
(櫻田さんのA:師匠の佐藤豊彦先生にめぐり合ったこと。現在も指導を受けている。)
(山崎さんのA:声楽が専門なので、弾きながら歌える楽器を探した。大きすぎたり重すぎたり、いろいろ検討して、軽いリュートに決めた。)
(小坂さんのA:軽いこと、高齢者に向いている。)
▼古い風景画にリュートを持った青年などが描かれているが、野外でも演奏するのか。
▼バルコニーの恋人に向けて演奏するのもリュートですか。
▼衣装が中世の雰囲気で素敵ですが…。 (身ごろは着物の帯地、袖と襟をつけて仕立てた)
など、櫻田さん曰く「文化的(笑)な質問」が続きました。
■支部長N.Oさんの挨拶、pocoさんから、裏方スタッフ、スタジオオーナー、そして演奏を聴きにいらしてくださった皆様への感謝の言葉、などが続いて、幕が下りました。
希望者は打ち上げパーティで余韻を楽しみました。
■最後のチャリティコンサートを終えて
13年前、持田久米子さん(故人)の発案で始まったコンサートが、今回で終止符を打つことになりました。
最初からずっと携わってきたものとしては若干の寂しさを感じています。
13回それぞれに思い出深いものですが、私自身は今回のコンサートが最高だったと思います。
心から楽しみました。演奏そのものが素晴らしかった、リュートの音色が心に沁みた、それに埼玉支部の会員の小坂さんが演奏されたなどのせいでしょうか。
ティータイムの話し合いもよかったですね。
最後ということで心に残ったのは、裏方を担うスタッフ全員の気持ちが一つになって、お茶の接待、下足番、会場の設営・片付け、こまごまと配慮して、黙々となすべきことを、否それ以上の働きを、すべてのスタッフが行う姿でした。
代表のpocoさんを中心にきめ細かい準備を重ねたからこその成果、これは何物にも代えがたい宝物です。
最初の頃のたどたどしい運営を思い出すと、13回の間に芸術品のように磨き上げられた姿に涙がでるほど感動しました。
その中の一人として参加してこられたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
最後に雨にも時にはみぞれの日も聞きに来てくださった多くの皆様にお礼申し上げます。
そして、こんな素晴らしい企画が今回で終わってしまうのは残念だと今更ですが思っています。
いつの日か、どなたかがまた新しい形でスタートしてくれることを祈っています。
(H.O)
毎年11月第3週の土曜日のお昼過ぎの、一足早いクリスマスチャリティーコンサートに、いつも新鮮なわくわくした気持ちで参加させていただけたことに感謝の気持ちでいっぱいです。
13回、バラエティーに富んだ楽器や歌声の持ち主が登場し、参加者は演奏者と同じ目線で音楽空間を共有しました。
そしてティータイムは、「こんなことを直接聞いてみたい!」という参加者と、それに誠実に答える演奏家との熱く和やかなひと時となりました。毎回、参加者の機知に富んだたくさんの質問のおかげでコンサートをより深く楽しむことができました。
そして手芸部の素敵な作品、交流奉仕部のクリスマスカード、T.A.さんのクリスマスグッズ、A.N.さんのお菓子やけやきの郷のクッキー等の色彩に包まれ、温かい飲み物とケーキにほっと一息。
終った後の参加者とスタッフの笑顔に支えられてきた13回だったと思います。
これまで縁の下の力持ちになってくださっていながら、最後のコンサートに参加できなかった皆様にも今回のコンサートの様子を上述のH.O.さんのレポートで楽しんでいただければと思います。
(K.A.)
アルバム→ こちら
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