10月30日(火) 交流奉仕部の企画で、山梨県北杜市にある資料館を見学しました。
◆初参加の方、県外から参加の方、さらに黒一点のK氏、総勢14名が、早朝の新宿駅に集まりました。初参加のNさんは「支部だより」を見て参加、県外からのお二人はそれぞれ支部メンバーのお誘いで、そして、黒一点のK氏は、筆者の友人ですが、「ふみ子の海」の字幕付け作業でお世話になったことから、ソウル上映会に参加、映像記録を作るなどで協力していただくなど、今や完全に支部に溶け込んでいらっしゃいます。 居心地がよろしい、そうです。
◆さて、特急あずさで甲府、乗り換えて長坂には11時前に到着。 タクシーに分乗して資料館近くのキッチンオハナへ。ここで資料館館長の澤谷さんと落合い、ランチをご一緒する予定です。
遠く八ヶ岳、甲斐駒ケ岳などを望み澄んだ空気がいっぱいの風景、あっ車中からは富士山も見えました。懐かしさを感じさせる里山風景、古民家を改造したオハナの何ともいえないぬくもりに、車中から続く一同のテンションはますます上がって、いやもう修学旅行の高校生といったところです。
※Kitchen Ohana キッチンオハナ 公式HP
http://bit.ly/T2ZhJv ◆ランチは、地元野菜をメインにマクロビオティックで作られた「おひさまプレート」を、今回企画の浅沼さんが予約しておいてくれました。素朴な味わいでいかにも健康によさそうで、美味しくいただきました。
ちなみにオハナとは、お花ではなくて、ハワイ語で家族という意味だそうで、家族的なもてなしがとても心地よかったです。
◆さて、今回の最大の収穫は、なんといっても同窓の澤谷滋子さんにお会いできたことです。澤谷さんは、東女78年史学科卒、浅沼さんと同期というご縁で、ご多忙の中、1日中おつきあいいただくことになったのです。
◆もともとは東京の住人だった澤谷さん、ふらっとやってきたこの地が気に入って、新婚3ヶ月で分譲地を買い(月1万円弱の分割で買えた)、子供ができたので家を建て、住み着いて20年…この経緯に、まず驚かされました。
◆はじめは臨時のアルバイトというような資格から始まって、ついに館長に。否、現在は館長以外にも市の課長さんも兼務されていて超多忙な日々のようです。そうなったのは、澤谷さんの並々ならぬ情熱と探究心によって、次々にプロジェクトを作りだす行動力とお見受けしました。20年間に起きた数々…偶然やら幸運やらが重なって彼女の世界がどんどん広がった様子。
◆途中、メンバーのYさんとは、卒業が同じだったということも分かって、盛り上がりました。
◆食事の後は、大根畑や稲わらの掛かる田んぼの間を6、7分歩いて、資料館に向かいました。遠くの山が色づいていて、東山魁夷の絵のようでした。それもそのはず、東山魁夷が院展に入選した最初の絵が、資料館の位置から描いた山だそうで、なるほどと頷いた次第。
◆資料館には、浅川伯教・巧兄弟を中心とした歴史が、大きな部屋二部屋に亘って展示されていました。すべて澤谷さんが構案されたものだそうで、年代、人名など次々に説明があり、映画「道ー白磁の人」と重ねて、興味深く伺いました。
床には1910年当時の日本地図が描かれていました。植民地の朝鮮、台湾などが同じ赤色に塗られた地図です。「教科書の地図です。当時の子供達はこういう地図を学んだんですね。」との言葉に澤谷さんの深い思いが感じられました。
◆最後に視聴覚室で、伯教・巧兄弟それぞれの業績を紹介したDVDを数本みせていただきました。気がつくと帰りの列車の時刻が迫っていました。タクシーを呼んでもらってあたふたと駅に向かいました。澤谷さんと懇談できず、後ろ髪を引かれる思いでした。
◆いずれゆっくりお話合いの機会を持ちたいというのが、メンバーみんなの感想で、では来年の旅行はこちらにしましょう、と気の早いツアコンさんの提案がありました。実現するといいですね。
澤谷さんと語り合うことは、必ずや私たちを感動させてくれるでしょう。