2008.07.19 Saturday
出会いで学ぶ銀座の教室
大変残念なことですが、いろいろの事情のため7月18日が最後の銀座教室となってしまいました! その最後をしめくくるに相応しくスピーカーは石原一子さん、タイトルは「人生にリタイアはない」でした。石原さんは一昨年埼玉支部の総会でもお話くださいましたが、大変お元気でシックに黒のスーツに身を包み溌剌とお話しくださいました。
東女卒業後東京商科大学(現一橋大学)に入ったのは、満州から引き上げてきた知人・友人たちの身の処し方を見て、これではいけない、女性が独り立ちして生活していくためには男性と同等の知識を身につける必要がある、それで多くの人が経済界で活躍している一橋大学を選んだ。たった一人の女子学生だった。
さらに高島屋を選んだのは女性であることがマイナスにならない職場だからと若いときからすべて目的を持って行動された。‘52年の高島屋入社ですから、私より1年後の就職です。日本の企業ではまだ、女性は結婚したらやめる、結婚しても子供ができたらやめるというのが不文律だった頃です。この頃の石原さんのご苦労はすごーくよくわかります。私はずっと外資系で働いてきたのですが、結婚してもそのまま仕事は続けなんの障害もありませんでした。ただ、最初の出産の時には自分が不安で仕事はいつでもあるというつもりで(その頃は英文速記はもてもてだったので)きっぱりと退職しました。石原さんは2度の出産の度に産休をとられて仕事に復帰されております。大きいおなかをして「どうして働かなくてはいけないの?」とかやはり色々言われたそうです。自分の経験と重なりました。私自身の兄(8歳上)が「あの子はいつまで働くのか、可哀想だ」と言っていたそうですが、母はよく理解してくれていて「本人は働いていたほうが輝いていられるのだから」と取り合わなかったとか。その頃のことを思い出しました。
高島屋時代の秘話から国立の市民運動、市長選挙のことなど、身をのりだしてお話しなさいました。人生50年と言っていた頃は過ぎ去りいまや100年にも突入しようとしている時、我々は何をすべきか − 生涯学習、地域社会への貢献。市民運動については新著書「景観にかける−国立マンション訴訟を闘って」に書いたように、弁護士を選ぶ、裁判官もどんな人か調べるなどなど学んだ。
我々はいまや自己実現をする齢になってきた。自分の今までの経験、知識を地域に還元することが必要だ。こういう宝を灰にしないでこれからの世代に送りこもうではないかという力強いお話しでした。
だめもとで前もって「お茶でもご一緒に」と連絡しましたら、何と快く「嬉しいわ」と受けてくださり、会の後少人数でしたが、近くの風月堂で短い時間でしたが、鞠子さんもご一緒にお茶をして、大変有益な楽しい時間も持てました。有楽町まで歩いて帰る間に「石原さん!」と結構素敵な男性が声を掛けてこられました。やはりお顔が広い!朝日新聞の記者でいらした方だそうです。
またの出会いを希ってお別れをしました。
ぐり